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感謝の詩人

ボクの詩じゃないですよ。ある友だちの詩です。純粋なハートを持った詩人です。

調和




ひとりの小さな手 何もできないけど

それでも みんなの手とあわせれば

何かできる 何かできる



これは、「一人の手」という

小学校の時にリコーダーで吹いた歌である。

何故か、ずっと心に残っている。



音楽にも、自然にも、

そして人と人にも「調和」がある。

「調和」があることに感謝します。









「調和」とは、とても奥が深いものだといつも思う。

辞書で調べてみると、

「うまくつり合い、全体がととのっていること」

英語では「harmony」という。

ハーモニーといえば、よく音楽で使われる。

音楽の三要素である「メロディ、リズム、ハーモニー」の中のひとつだ。



大自然の中で聴く音楽

小鳥のさえずり、風の音、川のせせらぎ、

どの音、ひとつひとつはすべて「調和」されていて、とても綺麗な音楽だ。

大自然のオーケストラは、本当に心地よい。

この「ハーモニー」を聴いていると、

偉大な創造者がいることを確信せざるを得ない。

そこに人間の作った音を入れると「調和」しにくい。



あるマンガを読んでいるとき、こんな事が書かれていたので紹介したい。



===のだめカンタービレ 第16巻===



◆トマ・シモン(コンマス)のセリフより



アンサンブルの神髄はハーモニー

ようするに「調和」だ。



この調和は古代ギリシャの時代「ハルモニー」と呼ばれ

キリスト教社会になった時



「神の作りたもうた世界は

 素晴らしい調和によって

 創造されている」



「その調和の根本原理は数の関係によって成り立つ

 それを探求することによって

 調和の謎が解明でき

 神の世界をより詳しく知る手がかりを得られると考えた」



音楽の本質は「調和」にあるのだ。

それを表現するのが、真の「音楽家」なんだ。



◆千秋真一(指揮者)のセリフ



ボエティウスやグイード・ダレッツォが言ってたことだと思うけど

1500年くらいまえは

神の作った世界の調和を知るための学問が

天文学・幾何学・数論・音楽だったんだ。

(その4つの学問が「クワドリヴィウム」と呼ばれた)



本来、音楽(ムジカ)とは調和の根本原理そのものを指していて

理論的に調和の真理を研究することが「音楽」だった。

中世ではその音楽理論を熟知して

「理性の力によって作品全体に対し

 入念に音楽を判断できる人」を

「音楽家(ムジクス)」といって

 ただ音を歌ったり演奏したりする人を

「歌い手(カントル)」といった。

「カンタービレ」の語源だよ。



=== 抜粋終わり ===



「調和」とは、古代から重要視されていて、

神から与えられたものだという認識があったことが理解できた。

そして「調和」こそ、神の世界を知る手がかりだと考えていたことが分かった。

そう、あまりにも神の作られた世界が「調和」で満たされているからだと思う。

その「調和」を人間の欲望の為に壊されるのは悲しいものである。

「調和」を壊しているのは、人間だけなのだから・・・。



じゃあ、人と人、人と自然、人と神の作られた世界を「調和」するためにはどうすれば良いんだろう。

きっと「愛」というメロディが必要なんだろうね!

愛がなければ、きっと「調和」することなんて出来ないだろう。

Clothe yourselves with love,

for it is a perfect bond of union. とあるから。

(union:「結合、一致、調和」という意味)



この歌のように、互いに助け合い、互いに支え合い、

そして共に行動する、

そんな人間になりたい。それが最高に素晴らしいものだから・・・。

いろんなものを通して教えてくださる「調和」に感謝します。





一人の手  訳詞:本田路津子/作曲:ピートシーガー



ひとりの小さな手 何もできないけど

それでも みんなの手と手をあわせれば

何かできる 何かできる



ひとりの小さな目 何も見えないけど

それでも みんなの瞳でみつめれば

何か見える 何か見える



ひとりの小さな声 何も言えないけど

それでも みんなの声が集まれば

何か言える 何か言える



ひとりで歩く道 遠くてつらいけど

それでも みんなのあしぶみ響かせば

楽しくなる 長い道も



ひとりの人間は とても弱いけど

それでも みんなが集まれば

強くなれる 強くなれる



ドリルを使って壁を掘っていたとき、

スコップを使って地面を掘っていたとき、

土嚢袋に石や砂をいっぱいいれて

一生懸命運んでいたとき、

そう、汗水垂らして一生懸命働いていたとき、

「愛」を思い出した。



誰かの為に頑張る、

私の為に頑張ってくれる、

そんな「愛」があることを感謝します。







体が本当に苦しくて、

もう動かないって思いながらもそれでも頑張って、

ふと思った。

「誰かの為に頑張るって良いなぁ」



私の家には学校をサボってゴロゴロしている弟がいるだろう。

その事をふと考えてしまった。

ヘトヘトになって帰ったらきっと、

「お腹すいた。お菓子買ってきてくれた?」

って言うのだろう。

毎日そうだから・・・。

でも不思議と苛立ちは無い。

むしろ嬉しくも思う。

むしろ頑張れちゃう。

少し「愛」ってことが分かった。

そう決して「期待」しないんだ。

でも「信じ」ている。

でも「希望」で溢れてる。

そのお陰で、こんなにヘロヘロでもドロドロでも、

「忍耐」できちゃう。

「愛」ってホント不思議だね。

この「愛」はきっと「絶えない」。そう思います。



私のお父さんも、ずっと「愛」を示してくれた。

どんなに離れていても、どんなに裏切っても・・・。

そんなお父さんの「愛」に感謝しています。

だから私も、その「愛」に習いたいと思います。



「愛」を知ることができた今、

絶対「愛」を絶やしません。

絶対・・・。一生・・・。 




落ち着く場所


人にはそれぞれあるんだと思う。

自分にとって「落ち着く場所」。

そこに来ると、安心する。

そこに来ると、思い出す。

そこに来ると、嬉しくなる。



そんな「落ち着く場所」があることを感謝します。







私にとっての「落ち着く場所」。

最近気づいたのだけれど、

それは、田んぼでした。



一面、稲の緑、ずーっと緑。

ただ、そこにいるだけで、いろんなことを思う。

小さな時、

そこでカブトエビを捕ったこと、

ドロドロになりながら野球をやったり、無意味に駆け回ったり。

そこにいるだけで、嬉しくなる。

この緑が、本当に大好きなんだ。

この緑を見ていると、本当に安心する。



みんなの「落ち着く場所」は、何処ですか?

そこは、どれぐらい好きな場所ですか?



私を元気にさせてくれる、

そんな「落ち着く場所」があることを感謝します。


当たり前


美味しい食事をして、

みんなで楽しんで、

気持ちよく寝て、



「当たり前」にそうしているけど、

決して当たり前じゃないんだよね。

「当たり前」に感謝します。







何で私は息をしているのだろう。

何で私は動いているのだろう。

何で私は生きているのだろう。



心地よい音楽に、心が休まる。

美味しいお茶を飲む。

キーボードを押そうと思ったら、手が動く。

そして今、そのことについて考える。

何という造りなのだろう。

“Wonderful”という言葉が本当に合う。



でも、決して当たり前じゃない。

自分が今、ここにいるのは当たり前じゃない。

今、こうして生きているのは当たり前じゃない。

この、存在するすべては、決して当たり前じゃない。



このすべての創造、

今、ここに私がいること、

それが「当たり前」なことに感謝します。

「当たり前」が存在することに感謝します。

でもそれが、決して「当たり前」じゃないことに、

気づかせてくれたことに感謝します。




言葉


傷ついたり、傷つけたり・・・、



でも、

伝えたり、伝えられたり、

教えたり、教えられたり、

支えたり、支えられたり、



そんな時、「言葉」があること、

感謝します。







言葉ひとつで、

行動や感情が変わる。

たった一言が、人生を変える事だってあるんだ。



もちろん、悲しくなることもあるけど、

嬉しくなる事のほうが、いっぱいある!

嬉しくって嬉しくって、

我慢できなくて、はしゃいじゃう事、いっぱいある!



何より今、感じるのは、

「励まし」の言葉なんだ。

自分が苦悩を感じ、呻いている時、

話される言葉は、なんて嬉しいんだろう。そう感じた。

それがたった一言、

「大丈夫?」

だけでも嬉しいんだね!

私も、そんな言葉を話せる人になりたいなぁ。



人の気持ちを表現することの出来る

「言葉」があること、

本当に感謝します。


備え


わたしのことを思い、

前もって「備え」てくださること。

本当に感謝します。







「備え」を辞書で調べると、

将来起こるかもしれない危険に対処するために、道具をそろえたり気持ちを固めたりすること。

とあります。



わたしは、感情で動く人間であり、

考えるより先に、口が出ること、行動してしまうこと、がよくあります。

何度も同じ失敗をしてしまいます。

人を傷つけたり、振り出しに戻ったり・・・。

やってしまったことで、取り返しがつかなくなること・・・、たくさんあります。



でもわたしの父は、

そのわたしを見越して、間違ってもよいように備えてくださいます。

そのおかげで、何度間違えてもわたしは前を向いて進むことができるのです。

つまり、今の気持ちのまま一心に進むことができるのです。



すべてのことに前もって備えておく。

すごく大変なことなのに、それをしてくださる。

その優しい思い、つまり愛に、すごく感謝しています。


仲間


何か目標を達成させたいとき、

弱音や弱点を吐きたいとき、

誰かの助けになりたいとき、

そして、一緒の目標に向かって一緒に進むとき、



支えてくれる、聞いてくれる、言ってくれる、

一緒に歩んでくれる「仲間」がいることに感謝します。





仲間・・・。



ずっと、ひとりで生きてきた自分に仲間ができた。

真の友といえる仲間。

ずっと、ひとりの方が楽だと思って生きてきた自分に仲間ができた。

一緒の目的を持った仲間。



傷つける言葉しか出せない自分を、笑って許してくれる仲間。

自分の弱い、できない部分を、前向きに励ましてくれる仲間。

こんな自分でも頼ってくれる、優しい仲間。



当たり前のように一緒にいるけど、

決して当たり前じゃないんだよ。

そう、当たり前じゃない。

いつも、ごめんね。

そして、ありがとう。



みんながしてくれたように、

どんな時でも愛し続けることができるよう、

そして、みんながしてくれたように、

苦難のときに助け、支えてあげられるよう、

もっと、強い心の人間になりたい。

絶対になりたい。


慎み


ついついがんばって、ヘロヘロになって、そしてがんばってー。

そんなことの繰り返しなわたしに・・・、



慎みという言葉を教えてくださったこと、

感謝します。





慎みという言葉を辞書で調べると、

「調子に乗ってあやまちを犯すことのないよう気をつける」

また、

「度をわきまえて控えめにする」

という意味があります。



わたしは基本的にがんばっちゃうタイプだと思います。

他人の顔色を伺うこともしばしばです。

どんな時でも調子に乗り過ぎるなら、度が過ぎるなら、

あやまちを犯しやすくなったり、関係を損ねることにもなりえます。

そう、良いことをやっていてもなのです。

「自分の限界をしっていること」は、慎みを示していることになります。

そう、良いことをやる時も、自分に限界があることを見極めて、

注意深く行動することが必要だということです。



わたしは慎みの無いものです。自分の限界を知らないものだからです。

「できない」と言いたくない・・・。

人に悪く思われたくない・・・。

がんばっていると思われたい・・・。

その為に、必至にがんばります。自分の体をも顧みずに・・・。

つまり、自分の事を必要以上に考えるものなのです。



慎みをよく学び、慎みをもって行動し、今自分が何をするべきか、

自分の器を考えて、行動していきたいと思います。



最近、雨が多い。なんか嫌だなって思うけれど・・・。



世界中に恵みの雨を降らせてくれていること、

感謝します。





いつからですか?雨が嫌いになったのは・・・。

わたしはいつから、雨が嫌いになったのでしょう。

わたしが小さいとき、雨なんて関係無く、夢中で外を駆け回っていました。

かたつむりを見つけたり、

みずたまりから水路を作ったり、

服をいっぱい濡らしてまで、雨を全身で感じていました。



大人になった今、雨は嫌いですか?

なぜですか?

雨の中、思いっきり飛び跳ねてみましょうか。

何かを思い出すかもしれません。

そう、いつもと違う世界、雨の中の主役たちが喜んでいますよ。

雨が降ったと喜んでいます。



懐かしい自分を思い出す、恵みの雨に感謝します。


熱意




少し落ち込んでいるとき、

少し元気が無いとき、



熱意を思い出させてくれること、

感謝します。





最近、何故か、元気が無い。

最近、何故か、頑張れない。



そんなとき、必ず近くに強めてくれる人がいます。

そう、熱意という、心の中に火を持ったひと。



熱意という言葉を辞書で調べると、

「障害に屈することなく、目的を実現させようと努力する気持」

とあります。

そう、そんな人はとっても熱いんです!

見てて、熱いってわかります!

その心の火が、私の中にも移ります。

それだけで、「よっし、がんばろう!」って思うのです。

わたしはホント、単純です。



昔々の江戸時代、

出羽の国米沢(山形県米沢市)に、

「上杉鷹山(うえすぎ ようざん)」という殿様がいました。

火の車だった米沢藩を、藩政革命に命をかけ、

自ら行動し、心の中にある火種により、ひとりひとりの心に火(熱意)をつけた人です。

この人が成功したのは、「愛」であり、

他人へのいたわり・思いやりを第一としたからでした。

愛で燃やした心の中の火は、必ず移るのです。

愛は、「結合の完全なきずな」とある通りです。



愛で燃やした熱意という火を、いつも心に持っていたいものです。





ちなみに・・・、上杉鷹山の有名な歌は以下の通りです。

「為せば成る 為さねば成らぬ 何事も 成らぬは人の 為さぬなりけり」


叱られる。


今日は、ある事で叱られました。

その時は少し嫌な気分になってしまいましたが・・・、



その点に気づいて、そして叱ってくださったこと、

感謝します。





叱るを辞書で調べると、

「相手の仕方を、良くないといって、強く注意する。」

とあります。

また別の辞書には、

「気にかける。取り立てて気にする。」

ともありました。



人の悪い点を見つけたとき、

それを批判的な注意ではなく、

心を込めて注意するのは、難しいことだと思います。

その人が本当に良くなって欲しいから・・・、だから注意する。

つまり、愛が必要なのです。

また、その様に叱ることは、いつもその人を気にかけているのです。

心を込めて叱ってくれること、本当に感謝すべき事です。



また、叱りを受けるとき、

あざける事の無いよう、謙遜にならなければなりません。

この度わたしは、

少し嫌な顔をしたかもしれません。

心を込めて叱ってくれたことに対して、

謙遜に認め、直すよう努力をする、それが賢いものです。



もう少し、賢くなろうと思います。


はじめに・・・


はじめに・・・



このようなブログを閲覧してくださる方、

感謝します。



このようなブログを書くスペースを与えてくださり、

感謝します。



このようなブログを使って日々感謝を表せること、

感謝します。





感謝。

辞典では、「ありがたく感じて謝意を表すこと」とあります。

日々、どれだけの感謝を示すことができるのだろう・・・。

そんな思いで、このブログを立ち上げました。

飾らない、自然な状態でなるべく書きたいと思っています。



わたしのこの感謝のメロディーが、

あなたのメロディーと合わせてハーモニーとなり、

もっと広がって"symphony"となるなら、嬉しいです!




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