2014年7月アーカイブ

2014年7月 7日

赤ちゃんの泣き声の聞こえ方は男女で違う??

息子が産まれて4ヶ月。いろいろなことを学んだ。
おむつの替え方。ミルクの作り方、やりかた。フロへの入れ方。母親のさまざまな喜びや苦悩。父親の重要性。

まわりの方々のさまざまな反応も興味深い。

近所の方々、実のおばあちゃん、友人の中で長年母親をしている方々の反応を見て、感じるのは、赤ちゃんの泣き声は、男性が聞くのと女性が聞くのとでは、聞こえ方がぜんぜん違っているのではないかということだ。(もしくは母親経験者は特別なのか?)
数字で表せる騒音レベル以上に、赤ちゃんの泣き声というのは、女性の脳に特別に響くのではないかと。キンキンと神経に触るのではないか。かわいそうでいてもたってもいられなくなるのではないか。そういうふうにつくられているのではないかと。
泣いている赤ちゃんがいない状況で、夜泣きの話をしていると、「赤ちゃんが泣くのが仕事だからね」と言うのに、実際目の前で赤ちゃんがぎゃんぎゃん泣いていると、もう本当にかわいそうでしかたがない、なんとかしなければならない、という反応をする。年齢が進むほどそういう傾向が見られる。
不思議な気もするけど、でもそういうものなのかな、という気もする。

私と妻は、息子が泣き喚くのには慣れっこで、基本的には「泣くのは当然」というスタンス。もちろん泣いていれば、おむつやミルクや体温管理の心配をするし、余裕のあるときはあやすけど、時には、様子をみながら泣かせておく。特に私は、隣で息子がぎゃんぎゃん泣いていても昼寝ができるようになった。妻はそこまでではなく、やっぱり、昼寝していて泣き声が聞こえると飛んでくるので、妻の昼寝中に息子が泣きだしたら、妻の睡眠時間確保のために全力で息子をあやす。あと、ご近所への騒音を気にする度合いも妻のほうがかなり強い。

そういえば少子化なのかなんなのか、街で、道端で、公共交通機関で、泣き喚く赤ちゃんを見ない気がする。なぜなの?私が気づかないだけ?でも以前はもっと見かけた気がするのだけど。そういうことも、関係有るのかな。人々が、「赤ん坊の泣き声慣れしてない」のか。

妻が専門家から聞いた話では、子育てをした母親たちは「赤ちゃんは泣くものだ、泣いて当然なのだ」と知っているはずなのに、時が経つと、どういうわけだか忘れてしまうらしい。
相当な苦労なので、多少忘れるくらいでないと心のキャパシティオーバーになってしまうのかなあ。

さまざまな意見があるが、その専門家の意見は、子どもは多少は泣かせたほうがいい、運動になる、という意見であり、私も父親として、その意見に賛同する。せめてもの対策として、息子が寝る部屋(地震対策で家具をほとんど置かない部屋)を、おとなりさんから離れた部屋に移動するため、仕事を1日休んで部屋の模様替えをした。

でも子育てには本当に本当に人によって意見が違うみたいだ。「どんどんだっこしなさい」「だっこしすぎると抱き癖がついていけない」とか、「自分の顔をひっかかないように手袋をさせないといけない」「多少の傷は問題ない」とか、だっこよりおんぶがいいとか、今は思い出せないけど他にもたくさんの意見に接した。そしてそれぞれの意見に一理あるようだ。だから親が、決めなければいけない。そういう時に、善意の助言をしてくださるかたがたくさんいて、人によって言うことが違う。そしてひとりひとりの意見、それぞれ、一理ある。だから難しい。

僕はそれほどでもないが妻のほうは、長引く育児疲れの中で様々な善意の助言を聞くと、1人だけならいいけど何人もそれぞれ助言してくださると、助言するほうは1回ずつなんだけど、聞くほうは、いろんな人にいろんなこと言われる、という感じになって、疲れて、時に、がんばっているのに否定されているように感じたりもして悲しくなってしまうようだ。

そんなとき安心できるのは、ただねぎらってくれる人だ。助言するわけでもなく、ただただ、「大変でしょう」「がんばっているね」といいながら、時に実際的な助けを与えてくれる。

だから、何年かたったら、新米パパママに、そうしてやりたい。でも、今はそう思っていても「忘れてしまう」のかなあ。だから、とりあえず、忘れないように、こうして、書いてみた。