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台湾へ(2005/2/24-28)

一日目(木曜日)

 そう、YUと2人で旅に出たのである。台湾へ。
前日、夜、微熱が出てきた。しかも、あまり眠れなかった。
 さて、飛行機は木曜夜7時半発。一気に地上がみえなくなる。そして、ついに、昔から、念願の、あこがれの、空で飲むワイン!ごくふつうのワインだったが、喜びつつ飲んだ。機内食は魚だったので、白ワインを。
 エコノミークラスだけど、1人ずつに画面がついている。映画も音楽もゲームもできるという。そして、中国語の勉強もついていて、それをやったが、それはこの旅行でけっこう役立った。
 画面にやたらでてくる、「歓迎光臨」。ファンイン・・・までは知っていたが、最後の2文字がわからない。辞書で調べた。ほかにも疑問がいろいろ湧いてきて、飛行機の中で、ずっと辞書をぱらぱらやっていた。
 さて着陸。台北の、中正機場といったかな。ロビーへ。もう、夜11時をすぎていた。(日本との時差は、1時間)
 ちなみに、中国語で、空港は、機場。ジーチャン。覚えやすい。
 ロビーに行ったとたん、数人のおじさんに声をかけられた。たどたどしく、「Taxi,taxi」と。これに乗ると、けっこう高くつくらしい。
 さて、両替所も売店もすべてしまっていた。のどが渇いたって、自販機があっても何も買えない。ああ。
 おまけに、きているはずのJRがいない!いくら待ってもこない。
 ボクたちは、台北から、台中へ行かねばならない。で、JRが迎えにきてくれるということだったのだが・・・
 彼女の「行動電話」に、電話をかけることになった。しかし!小銭がない。今は、10円玉はただの銅のかたまり。
 YUがいろいろ悩んでくれて、だれかに小銭をわけてもらおう、とか、がんばっていた。ボクはただボーっと荷物の番をしていた。
 結局、クレジットカードでかけられる電話を見つけたようである。そんな便利なものがあるのか。
 JRは、なんと台北行きのバスがなくて、まだ、台中にいるとのこと。「I m so..so...sorry....」と言っていたって。
 で、結局2人だけで、台中にむかうことになった。バス代も、キャッシュがいるのだが、またYUの機転で、ATMで引き出すことができた。
 もう、夜中の12時なので、バスに乗る人はほとんどいなかった。
 そのバスがすごい!!びっくり。こんなバスはじめて見た。座席が超豪華なのである。赤レザー張りふかふかゆったりシート。マッサージチェアのすわり心地。いくら長距離バスだからってこれはすばらしすぎる。幅が飛行機の座席の2倍はある。
 しかも安い。100km近くあるのに、たった250NT$。ちなみに、1NT$=約3円。
 2人はしばらくはしゃいでいたが、出発したらすぐ、心地よい眠りについた。
 2時間くらいかかったかな。目がさめたらそこは台中市街。しとしと雨降る台中市街。セブンイレブンやファミリーマート、やっぱり台湾にもあるんだ。そしてもちろん夜中もやっている。コンビニは中国語で、「便利商店」と書く。
 台中駅前でバスを降りる。また、「taxi,taxi」のおじさんだ。
 とてもおなかがすいたので便利商店に行こうと思ったら、JRとWRがやってきた。ついに会えた。
 再会を喜びつつ、しばらく歩いていた、はて、なにで迎えにきたんだろう、きいてみると、なんと「moterbike」おお!
 JRは125cc、WRは90ccのスクーター。なんかパワフルだな。これに2人のりか。
 バイクに乗る用意をしていたら、突然大雨が降ってきた。何の前触れもなくどしゃぶり。スコールみたい。雨もなんだかパワフルだな。台湾にきた、という感じがしてきた。
 レインコートを借りて、大きなかばんも二つずつのせて、いざ出発。
 真夜中の街を快走。そういえば、2人はスーツを着ていた。かばんに入れておくとしわになるということで、着ていた。なのに、まさか雨の中をかけぬけることになろうとは。10秒走ったところで、スラックスをぬらさないことをあきらめた。
 走り方もパワフルだなあ。パトカーなんかを、ぶつかりそうになりながら平気でぬかしていく。こっちはヒヤヒヤだったが、やがて慣れた。
 そういえば、ここは右側通行なんだ。なんだか変な感じ。いつか正面衝突しそう。
 せっかくなので台中の交通事情についてここで話すことにしよう。台中の交通は、日本とけっこう違っておもしろい。おおらかでいいと思う。
 歩行者信号に、残り秒数がついているのがいい。お年寄りにやさしい。しかも歩行者信号が、アニメーションになっている。青い光の中で人間のシルエットが歩いているのだ。そして残り時間が7秒をきると、そのシルエットはあせって走り出す。日本の点滅よりずっと味があっていいなあ。
 あと、日本だと、赤信号は赤信号、だが、台中では、左から車がきていなければ、バイクだろうが車だろうが、がんがん右折していいことになっているようである。これは、合理的ですばらしいと思う。
 そしてとにかくバイクが多い。信号待ちで、軽く10台は並ぶ。多いときで30台くらい並んでいるのも見た。
道がとても広くて、いちばん左の車線は、バイク禁止になっている。
 バイクの2人のりがとても多い。50ccのスクーターでも、2人乗りOKらしい。そして、ヘルメットは着用しなければいけないらしいが、同乗の子どもたちはほとんどかぶっていない。
 お父さんがスクーターにのって、足スペースにちいさな椅子をおいて、小さい女の子をすわらせて、足ではさんで走っている姿はほほえましかった。
 でも、交通がおおらかなのは、いいことばかりではないのである。5日間で事故を2つも目撃した。(バイクの転倒&車4台玉突き)
 さて、夜中の台中に話を戻そう。どしゃぶりのなかをしばらく快走。お腹がすいたので、お店によってもらった。台中では餃子や包子がファーストフードらしい。なかなかおいしい。そこは24時間営業で、おばちゃんがひとりでがんばっていた。
 台中では、どこにでもおいてあるスタンダードな飲み物は、ミルクティー(ナイ茶)らしい。ちょっとラベンダー風味の。ホットでもアイスでもおいしい。
 お腹が落ち着いたところで、泊めてくれるTHの家へ。住宅街の中の、オートロックアパートの6F。オートロックといっても、年季の入ったビル。もちろん。エレベーターなし。
 20歳の韓国人。やさしそうな感じ。いっしょに生活している、MS(37)と共に、もう夜中3時をまわっているのに迎えてくれた。
 THはリビングに寝てくれて、ボクたちを彼の部屋で寝させてくれた。

二日目(金曜日)

 朝、ボクはまだ寝ていた。シャワー室から、YUの悲鳴が聞こえた気がした。
 この家のシャワー室は、トイレと合体になっている。湯船なし。
 外にあるプロパンガスの小さなボンベによって、シャワーからお湯が出てくるしくみになっているらしい。
 YUが息を切らして、シャワー室から出てきた。ボクはまだ布団の中でまどろんでいた。泣きそうな声で彼は言った。「水しか出ない・・・」
 TH「ゴメンネーソウイエバ、ガス、キラシテルンダッタ、ハハハ」
 YUはしばらくの間、ブルーになった。
 そういえば、THは、韓国人。中国語を学びに、留学してきている。英語もまあまあできる。YUは、英語がけっこういける。ボクは英語も中国語も中途半端。わたしたちは、英語と中国語をごちゃまぜにして、コミュニケーションをとった。"ni study chinese ma?"という具合である。THは、ボクに話すときと、YUに話すときと、通じる言語が微妙に違うために、苦労していたが、上手に、臨機応変にしてくれた。非常感謝。
 朝はTHは学校でいなかった。そこで2人は外へ飛び出した。とりあえず両替だと。円→NT$の両替は、銀行ならどこでもできる、というわけではないようだった。ある銀行では、「うちじゃできないから、隣の銀行に行って」と、教えてくれた。親切だあ。
 その後、ぶらぶらと、街を散歩した。街のポストが赤と緑の2つセットになっていた。小さな公園があって、遊具などの雰囲気が日本そっくりだった。そしてTH邸に戻った。
 またバイクの後ろで出発。
 昼食はWR邸でごちそうになった。
 数人で迎えてくれた。みんな当然台湾人だろうと思っていたら、3人は日本人だった。おお。
 いろいろ話をきいた。台湾は最近気候がおかしいらしい。ここ1週間寒くて雨ばかりなんだって。熱帯なのに。ボクはあついだろうとおもって上着をほとんどもってきていなかったので、結局5日間寒くてちょっと苦労した。
 さて、台湾の普通の家庭の食卓はどんな感じかな。
 食卓いっぱいに、おかずがたくさんたくさんならんでいる。
 日本だと、1人につき、ご飯の茶碗と小皿が2枚くらいあったりするものである。しかし、台湾では、小皿は使わないという。すべてのおかずを、ご飯の上に乗せて食べる。
 合理的だな。洗いものがけっこう楽になる。テーブルのスペースも節約できるし。気に入った。
 おかずは、ビーフンや、肉系、豆腐系などなど。どれもすべてハオツゥゥはずれなし!
 みんなのお腹がだいぶ満たされたころ、大きなスープが運ばれてきた。その名も「花湯 フアタン」。
 洋食だと、前菜がスープだったりするが、台湾では、シメが、スープなのだそうだ。
 これもとってもハオハァ 野菜など、いろいろ入っている。ん、なんじゃこりゃ、鳥の足だ。
 現地の食べ物はなるべく食べる、というのが、旅人であろう。鳥の足にチャレンジ。
 ちょっと躊躇しながらも、パクッと。うむうむ。まあ、ダシ用なんだろうなあ。骨ばかりで肉はちょこっと。でも、肉球が、ぷりっとしてハオツゥゥ。髄までしゃぶった。
 テーブルはだんだんと、デザートモードに入っていったのだが、でてくる果物がどれも、みたことないものばかり。
 りんごをもっとさっぱりさせたようなのとか。中でも、スターフルーツなるものが目にとまった。
 わざわざ星型に切ってあるわけではない。ふつうにザクザク切ると断面がそういう形になる形のフルーツだって。
 すっぱめだった。
 いくつか、みたことがないフルーツを食べたが、どれもさっぱりしている。
 ジューシーさは、日本のフルーツに軍配があがるだろう。
 あと、WRママに、「ピータン食べたい?」と聞かれたので、もちろん欲しいといった。ピータンは名前だけ聞いたことがあったが、どういうものかもわからないし当然食べたこともなかった。
 しかし、何もでてこないのでしばらく忘れていた。
 帰る時になってWRママは、お土産をくださった。指輪でも入っていそうな、高級感ただよう小さな紙袋。
 何かなあと中をみると、紙でつつまれた卵が数個。おお、これがピータンか。
 紙のすきまをのぞいてみると、黒い殻の卵。
 これを食べたのはいつかというと、日本に帰ってから2,3週間あとだっただろうか。(賞味期限を見たら、数ヶ月もつらしい)
 殻をむいたら、でてきたのは・・・
 そうか、これって燻製なのかな。普通の卵でいう白身の部分が、一番外の層が透明で、その下の層が黒く、さらにその中に黄身がある。しかも、白身も黄身もすべて、ネチネチしたゼリー状になっていた。おおおーこれがピータンかああ。
 すこし珍味っぽい臭気をただよわせていた。
 しかし勇気をだして、パクリ。モグモグ、ネチャネチャ・・・・。
 鼻のなかが、ムワァーと、すばらしい臭いでいっぱいになる。
 その臭いが、食べた後もしばらく続く。
 これが、ピータンかあ。食べてよかった。しかし、リピーターにはなれそうもない。
 しかし、まだ1個残っていた。どうしよう。もう食べる気がしない。
 うちに泊まりにくる、知り合いの小学生に、食べさせることにしよう。
 その子は、殻をむいたピータンを見てかなり、しりごみしていたが、なんとか説得して食べさせることに成功した。そして・・・「おいしいね」だって。めでたしめでたし。
 ・・・と、あとでYUに聞いた所によると、普通はピータンはこういう食べ方はしないらしい。食べ方によっておいしくなったりするもんなのかなあ。
 さて、WR邸を出発。
 着いたのは、サイエンスミュージアム。
 日本の博物館と、とても似ている雰囲気だった。珍鳥がいたり、リアルに動く恐竜実物大模型があったり。あと、中に、マクドナルドの店舗があったな。
 そのあと植物園をお散歩。ネコがいた。日本にいるのと同じだった。あと、WRが写真にうつるときのポージングがいつもうまかったなあ。
 帰りに、お店に寄って飲んだ、キューキューという飲み物はなかなかすばらしかった。
 アイスのラベンダー風味のミルクティーの中に、数年前日本で一世を風靡した?タピオカの、直径1cmくらいの球体がいっぱいはいっている。それを、太いストローで、一緒に吸って、舌の上でぷりっとしたタピオカを噛み砕き、ミルクティーとまざりあって非常好!
 夜にはNT-C、とにかく人種が多様だったので楽しかった。
 そのあと、夜市(ナイトマーケット)へくりだした。CHと合流して7人。
 大学の周りが毎日にぎわっているらしい。
 歩きながら、めぼしいものを食べ歩く。
 時々、なんだかほんのりと不快なにおいがたちこめていた。
 ボクは鼻が鈍感なので、ほんのり、どころじゃないかも。
 そして、その発生源は屋台だということを知る。「臭豆腐」(チョウドウフ)。
 話には聞いていたが、まわりがこんなに臭うとはいったいどんな食べ物なんだ。
 と、食べてみた。意外と、臭豆腐そのものからは、あまり臭わない。それとも鼻が慣れたのかな。
 ねぎやスパイスがのっかっている。味もまあまあいける。この微妙な臭みが、慣れてくると旨みに感じられるのかもしれない。
 あとはなんだったかなあ。もう2ヶ月たっているので、記憶が薄れてきた。
 柳丁原汁、というものを飲んだんだ。「我要一個」というと、おじさんは、果実を取り出して、そのまま機械に放り込んだ。機械の中でジュワーっと。皮ごと搾られた。
 すっぱーい分だけ口のなかがさっぱりしてうまい。書いててちょっと唾液がでてきた。
 それを飲みながら、歩き、入った店は、プリクラショップ。
 中にはプリクラボックスが、10台くらいかな。
 機械を見て驚いた。日本と全く同じものだ。しかも、画面にでてくる説明も、音声も、ボタンも、全部、日本語。うちらも撮った時、地元っ子たちが操作に困っていたのでYUがやってあげていた。
 これで営業できるとは、おおらかな国だなあ。係員が1人いたが、呼ばれまくりそう。
 もう真夜中だった。帰宅。JRだいぶお疲れモード。

三日目(土曜日)

 朝からF.Sへ。雨の中バイクで走って、着いたら晴れた。
 やっぱり日本と違う。密集した住宅街なのに、20人でぞろぞろ歩いても大丈夫。
 しかも、止めてあるスクーターに勝手に座って休憩してもOKみたいだった。
"qing nin kan yi xia"といっておじさんに渡せた。
 あと、中国語はわからない、というおじいさんにあった。台湾語(地元の言葉)しか、わからないらしい。
 そのときは、引き下がったのだが、あとで考えたら、歴史を考えると、もしかしたら日本語ならわかったかもな、と思った。
 帰って、THと大学の写真を見た。中国語を学びに、台中の大学に来る外国人が、けっこういるらしい。日本人も。なんたって、月3万円あれば、家賃も込みで、なんとか生活できるっていう話。授業料もけっこう安いという。クラスの年齢層はさまざまだった。
 そのあと、そごうデパートへ。
 台湾にいったら牛肉麺(ニュウロウミェン)がおいしいから、食べるといい、と言われていたので、昼飯に食べたのだが、所詮デパートの味。まあ普通だった。
 そのあと、個人的に楽しみにしていた、お茶屋さんへ。
 旅行前に、中国茶の本を読んでいて、どんなものか興味があった。
 そのお店はめちゃくちゃ日本人観光客向けだろうなあ、という感じ。
 おねえさんがやってきて、しゃれたやかんのお湯をあっちにそそいだりこっちにそそいだり、いろいろな手続きを始めた。
 茶器にお湯をかけてあたためたり。茶葉を一度すすいだり。
 それを、6人でながめていた。
 数分たってやっと、お茶がやってきた。
 中国茶の飲み方は、それぞれの人の前に、器が二つある。
 一方はのっぽ (10cm位)で、もう一方はチビ。チビじゃないか。ふつうか。
 まず、のっぽのほうに、お茶が注がれる。それから、それを自分で、チビのほうにうつす。
 なぜこうするかというと、一つは、茶を均一に攪拌するため。
 もうひとつは、お楽しみのため。
 どんなお楽しみかというと・・・。
 「聞茶(ウェンチャ)」という楽しみである。
 からっぽになった、ノッポの器を、鼻にもっていき、残香をかぐのである。
 とても幸せな気分になれる。何度やっても飽きない。
 そしてやっぱりお茶はハオハァァだった。
 お茶がとてもうまかったので、お茶菓子の記憶があまりない。
 おかわりを繰り返した。
 お茶屋の中庭には、池があり、鯉がたくさん泳いでいて、ちょっぴり和風な雰囲気だった。
 夜にはBT-Cへ。台湾の原住民は、顔の雰囲気がちょっと独特だな。
 そのあと、BT-Cのみなさんと、お食事。まさに大衆食堂!という感じのところ。
 そこで食べたものが、とっても印象的だった。まさに台湾の料理を食べたな、という感じ。
 一つは、餅の料理だった。餅にからめてあるものがなんとも珍しい。片栗粉ベースで、にんにくと明太子かな、というかんじのエキスがはいったかんじだった。一緒に食べている方に「おいしい?」ときかれて「おいしい」と答えたら、「へーおいしいんだ」という、なんだか意外そうな顔をされた。そこで、「あなたはこれ好きですか?」ときくと、うーん・・・という苦笑いのような感じだった。あまり人気ないのかなあ。ボクとYUはおいしいおいしい、といって食べていた。
 もう一つは、魚団子スープ。その団子は、かまぼこにくらべてちょっとパサッとした感じだった。セロリがいいダシをだしていた。ラーメンのスープをすこし薄味にした感じの味。これもおいしかった。
 小さいお椀たった2つだけで終わったので「え?もう終り?」と思ったが、気づいてみると満足・満腹だった。
 車で送ってくれたご家族は、ご主人のお姉さんが大阪にいるということだった。奥さんは少し日本語ができるようだった。10歳くらいの男の子に、中国語で「おいしかった?」ときかれたので中国語で「おいしかったよ」と言ったらニコッとわらっていた。
 夜にも、THに、写真をいろいろみせてもらいながら、大学の話をきいた。数十万あれば留学できてしまうのを知ったYUはやたら感心して、留学を本気で考え始めていた。

4日目(日曜日)

 朝は、ゆっくり起きた。YUが、ぼくは留学を本気で考え始めているよと語りはじめた。
 そしてYUと2人で散歩へ。そごうがあるので、そこまで歩いていって、おみやげの偵察にいった。
 お昼にごちそうしてもらうことになっているというのに、2人は観光客向けっぽい少しおしゃれなお店に入って、YUは海鮮粥をボクは排骨麺をたべてしまった。排骨麺は普通だったが、YUの海鮮粥はとてもうまかった。それほど高くないし。こんなにうまいものがこんな値段で食べられるとは・・・とYUは留学の夢をますますふくらませるのだった。
 お昼は、JRママに、お店で、火鍋(フオグオ)を、ごちそうしていただいた。
 YUが酸菜火鍋というのを頼んでいたので、なにか違うのを頼んでみようと思って、どんなものかよく分からずに麻辣火鍋というのを頼んだ。まあ、どんなものがきても、好き嫌いのないボクなら平気だろうと。しかし・・・
 見た目からしていかにも辛そうだった。そして食べてみると、もうそれはそれはからかった。韓国のキムチとかがからいのとは、少し辛さの質が違う。酸っぱい寄りの辛さ。
 日本で、なにかたべられないから残した、ということはほとんどない。しかし今回ばかりは、辛すぎて、がんばったけど半分ちょっとしか食べられなかった・・・。さすがは台湾。
 ボクの火鍋にもYUの火鍋にも、やっぱり血入り肉が入っていた。言われなきゃ気づかないから食べちゃうところだった。台湾では、外食でスープ系を頼むと、必ずと言っていいほどこの血入り肉がはいっているという。
 ボクの顔がJR妹にものすごい気に入られたらしく、ずっと「ハオクーアイ(とてもかわいい)」と言われ続けた。しかし言葉の壁であまりコミュニケーションがとれなかった。
 食事のあとは、またしても50ccスクーターの後ろでゆられて数十分、そしてYU姉が以前留学したという、東海大学のキャンパスで散歩。だれでも入れて緑がいっぱいのいいところだった。中に背の高いチャーチがあって結婚式が行なわれていた。そのまわりで恋人たちが時を過ごしていた。校舎は、日本式住居になっていた。どういうのだっけ。今、9ヶ月前のメモを見ながらこれを書いているのでかなり記憶が薄れている・・・。あと大きな図書館もあったかな。あと写真にもあるように、「台湾のサクラ」が咲いていた。
 そのあとは大学のまわりの商店街へ。パン屋やらCD屋やらアクセサリ屋やら。ボクは会社の部長に、奥様用のネックレス買ってきてとお金を渡されていたので、みんなにききながら探し始めていた。
 あと、ネットカフェが親切だった。YUがメールチェックをちょっとするために入っただけなので5分もかからずに出たとき、このくらいなら無料でいいよといってくれた。日本では考えられないなあ。他の人々はほとんどみんな、ネットゲームをやっていたみたいで、何時間もそこで時を過ごしているようだった。
 そのあとちょっとした喫茶店で休憩。ホットのショウガ&芋餅スープを飲む。女性陣は葉っぱからできたというゼリーらしきものを食べていた。
 夕方になり、また移動。ぼくをうしろにのせた50ccのスクーターが悲鳴をあげていた。
 かなりの距離を移動して、レストランについた。かなり観光客むけっぽい、「バナナのニューパラダイス」とかいうレストラン。メニューとか日本語でもかいてあったりした。
 BT-Cの若者たちと、以前日本にきたIRとそのお母さんが迎えてくれた。
 いろいろと中華料理がでてきて全部おいしかった。器が食べられる、というのもあった。芋でできていて食べたらパリパリしておいしかった。
 かなり大勢だったし、久しぶりに会う人同士もいたみたいで、中国語でかなりいろいろやりとりしていたので、それを傍観しながら、内容をなんとか聞き分けようとしたけどほとんどわからなかった。一緒にいたTH(韓国人)も、最初はしゃべっていたけどだんだんしゃべらなくなっていた。後できいたら、彼の中国語があまり通じなかったのでしゃべらなくなったらしい。数ヶ月いてもそういうこともあるのかあ。
 でも一人ずつ歌を披露することになった。3人しか歌わなかったけど。ボクは自作の名曲「ひとりたび」を歌った。アカペラで歌ったのははじめてだなあ。この曲のよさが1回で伝わったかな?
 宴が終り、お礼を言って外にでたら雨がふりはじめた。ここからはタクシーで、YUと2人で横浜そごうへお土産を買いにいった。到着したのは、閉店30分前だった。
 それぞれ、急いで、朝偵察しておいたものを買いあさった。部長に頼まれていた金のネックレスは、YUにお願いして、ボクはからすみと、ぬいぐるみを購入。もう片付けはじめていたところもあったが「すみません・・」となんとか買わせてもらう。からすみは安い。3つで1万円くらい。観光客向けで高くなっているんだろうけどそれでも安い。
 なんとか閉店時間にまにあった。エスカレーターでぐんぐん降りていく時、各フロアに5、6人いて、おじぎをしながら「謝謝ニン、歓迎再次光臨!(シエシエニン、ホワンインザイツグアンリン!)」と繰り返していたのが印象的だった。これもそうだがそういえばそごうの雰囲気や接客のていねいな感じは、あまり台湾らしくない。日本風な感じがした。さすがは、そごう。
 おみやげ購入、今度はセブンイレブンへ。日本には売っていない紙パックの飲み物がいろいろあったので、「アスパラジュース」を、お土産にたくさん買った。
 YUが、明日飛行機に乗る前に台北でアメリカ人の友達に会うんだといっていろいろ連絡をとるのに苦労していた。しかし結局会わないことになり、明日は朝ゆっくり買い物ということになった。
 もう最後の夜になってしまった。家でTHといろいろ語ったり写真をとったりして過ごした。

5日目(月曜日)

 朝ご飯は、THとJRとファーストフードのお店へ。なんのお店でしょう。なんとギョウザがメインのお店なのです。
 おばちゃんたちがすごいスピードでギョウザをつくっているのが見えた。
 ギョウザと、ホット豆乳ミルクティー、そしてスープを頼んだ。スープはよくわからずに頼んだら、なんと血入り肉入りだったので残した。やっぱり台湾は血入り肉に注意しなくては。
 そのあと中友百貨というデパートに連れて行ってもらって、またいろいろとお土産を買う。ボクは紅茶とか粉末ミルクティーとか「茶梅」とかを買った。
 そしてTHの家に戻って、同居人のMSにお別れを告げて、THとJRと空港行きのバス停へ。お別れのときがきた。ありがとう、さようなら。

半年後

 YUは本当に、台湾に留学に行ってしまった。

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