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中3の時に書いた作文を復刻!


 原文の完成から9年、ついに完成!
 きらめくような青春の1ページがここに。
 改めて読んでみると、おもしろい。なかなかいい中学生じゃないか。
 少々理屈っぽい感じではあるが、けっこう、なにがあっても落ち込まず、積極的に考えていた中学生だったことがわかる。
 原文は、中3の夏休みの宿題で提出した作文である。当時は、ワープロを使っていた。感熱紙に印刷したので、9年たった今では、もう字が消えかかっている。消える前に、ここに転載できてよかったなあ。
 全部で2ページあります。それでは、はじまりはじまり。(2005/9/19)




日帰り自転車旅行スペシャル


   1

 タク(15)は次のサイクリングの予定を考えていた。
 ノリとツヨも一緒に行きたいと言うのでそうする。
 今有力候補に上がっているのは奥多摩方面。タクはこの間一人で、普段乗る黒い自転車に乗って奥多摩湖に行ってきたのだ。行くのに5時間かかった。だからまあ道も知っているし手ごろな距離かというところだ。
 奥多摩湖よりむこうに行くとまもなく山梨県丹波山村に入るのだが、そこに、小学生のころタクが家族で行ったキャンプ場がある。
 そしてそこに、そば屋がある。
 そのそばがなかなかうまかったことを、彼は覚えていたのだ。
 まあ奥多摩湖からそう離れてはいないだろう。もう一度そこにそばを食べにいくのもいいな。ノリとツヨはサイクリング経験はそんなにないらしいが、まあ夜には帰ってこれるだろう。自分が行った時は朝8時ごろ出て夜8時半に帰った。12時間半か。その時は高井戸を経由したから遅くなったんだった。普通に帰ってこれば11時間として。3人いるから14,5時間かなぁ。
 そんな調子のおおざっぱな時間計算でタクは丹波山に行こうと決めてしまった。
 彼はサイクリングの時間を計算するときいつも少々無理があるかもしれないような配分にしてしまう。
 そう、タクはいつも「まあなんとかなる」という考え方をしてしまう性格なのである。つまり無謀なのだ。一人だったらまあそれでいいのだが、今回は3人。あとの2人を巻き込まないだろうか。心配である。
 1996年5月6日(月)、朝5時過ぎに3人はタクの家の前に集合し、丹波山へと向けて出発した。
 ガス橋行って多摩川沿いにずっと上って、東京都国立市まで。ひとまず順調である。そこからR20甲州街道→新奥多摩街道→R411青梅街道。青梅市で一度万年橋をわたり多摩川の向こう岸へ。そこからJR青梅線の古里駅までわりとなだらかな坂道。また多摩川を渡ってすぐの、古里駅近くのセフ゛ンイレフ゛ンで一服したが、ここでかなり時間を取ってしまっただろうか。
 そこはすでに奥多摩町。午後1時ごろそこを出て、そこからが本番のきつい坂道である。R411青梅街道で奥多摩湖にじりじりと近寄っていく。
 ふりむき気づけば2人は歩いて自転車を押していた。
 タクは、オレは絶対自転車から降りないもんね、とばかりに懸命に一こぎ一こぎ確実にこいでいた。
 この時点で時間はかなり遅れてきていたのだが、そんな下りのスピードでふっとぶだろうとあまり気にせず楽観的でいたのであった。

   2

 ノリは自分の自転車の異変に気づきはじめていた。前輪がなんか重い。
 それで3人は止まって彼の自転車の前輪を見て、驚いた。
 タイヤの側面がけずれたようにツルツルになっているのだ。フレームとの摩擦でこうなったようだった。ツルツルの所にさわると熱くてさらに驚いた。
 それでは調整しようと、タクは持ってきていた工具を取り出した。
 まずプライヤー。
 そして、一方にはメガネレンチ、もう一方にはスパナがついているレンチの、17版と15番と10番を持ってきていた。
 17番はブレーキドラムのナットに。
 15番はタイヤを締めるナットに。
 10番はいろいろな所に使われる小さいナットに。
 そういうつもりで、その3種類の大きさのレンチを持ってきていた。
 ひとまず前輪をゆるめようと、15番のレンチを前輪軸のナットに引っ掛けた。
 あれ?
 合わない。
 引っかからない。
 おかしい。
 タイヤの軸のナットって15番じゃなかったっけ。
 それで試しに後輪軸のナットにレンチを引っ掛けてみたらぴったり合った。
 ということは。
 前輪と後輪のナットの大きさが、ちがう。前輪のほうがちょっと小さいのだ。
 そんなことは知らなかった。
 さあ、どうしようもなくなった。
 前輪軸のナットに合うレンチはない。
 プライヤーも使おうとしたが、どうがんばっても前輪のナットはゆるまない。
 ああ、モンキーレンチを持ってこればよかった!なんでそんな簡単なことがわからなかったのだろう。
 いまさらそんなこと言ってもしょうがない。
 さあ、ここで引き返すしかないのか。
 このまま丹波山行っちゃったらきっとかなり帰りが遅くなるだろう。
 今日は奥多摩湖までにしておこうか。
 いや、やっぱり丹波山行きたい。
 3人が困っているところに、ロードレーサーに乗った中年のたくましいおじさんが通りかかった。
 あのおじさんなら工具を持っていそうだ、もうそうするしかない、と思って声をかけ、事情を話すと、そのおじさんはすぐに工具を取り出し、いろいろとガチャガチャやって、タイヤがフレームに擦れないようにしてくれたのだ。
 おじさんが使っていたのはこのような工具であった。




 これを使えば8種類のナットをまわせる。いいなぁ。
 3人はおじさんに何度もお礼を言った。感謝の気持ちでいっぱいである。
 とりあえず走れるようになり、再び出発。
 相変わらず、タクが自転車をこいで進み数十メートル行ったら止まって後ろから2人が歩いてくるのを待つというペースで、ずっと進んだ。
 タクは待っているときなど、今いるところの地名と持ってきた地図とを照らし合わせ、奥多摩湖まであとどのくらいあるかと確認を何度もした。
 それにしてもトンネル内はなんだかこわい。
 のんびり、じりじりと自転車をこいでいて、トンネル内に急に車の音が響くとビクッとする。
 それが対向車線の車の音でも、なんか後ろからきているような気がする。
 だってもし、ドライバーがちょっと不注意で、後ろから自分にぶつかりそうになってきてしまったら、逃げ場がない。常に自分の左にも左上にも壁が迫っているのだ。もし本当にぶつかってきたらどうしよう。やっぱりジャンプして後ろからきた車のボンネットにでも飛び乗るしかないかなぁ。逃げ切っても自転車はグチャグチャになるだろうなあ。
 トンネルは無数にあり、短いの、長いのとさまざまである。
 長いトンネルにはたいていわき道がついていて、トンネルをくぐらずにトンネルの向こうにいけるようになっている。しかも全然遠回りにならない。そしてその道はわりと平坦で、車もいないので、長い坂道のひとときの安らぎの場となる。
 そういうわけで、奥多摩湖もあと一息というところのあるトンネルにわき道を見つけたとき、3人はそこに入ってしまったのだ。また車のいない平和な道で安らごうと。
 そのわき道はしょっぱなから急坂のぼりだった。もちろん舗装されている。
 そしてそれは、今までのぼってきた坂道よりもうんときついのである。油断するとバックしてしまいそうだ。まあこんな坂道すぐおわって楽にトンネルの向こうに抜けられるんだろうななんていう甘い考えを持ってタクは懸命にこいだ。後ろの2人は当然歩いている。
 まだのぼる。
 まだのぼる。
 さらに急になる。
 ついにこげなくなる。
 押して歩く。
 このわき道に入ってから15分ぐらいのところに、ちょっとした集落があった。畑仕事をしている人の姿も見られ、とてものどかなところだ。
 その集落の中をさらにのぼると、いつの間に道から舗装が取れ、頂上らしきところが見えてきた。
 そこに着き、目を疑った。
 なんと、奥多摩湖が下のほうに見える。
 思いもよらないことだった。
 奥多摩湖を目指してのぼってきたのに、今、奥多摩湖を見下ろしているのだ。
 後ろの2人のところに急いで知らせに行くと、2人は畑を眺め休んでいた。ちょっときてよ、と彼らを頂上にせかした。
 頂上で3人で呆然とした後、じゃあ奥多摩湖へ降りていこうと、今度は人しか歩けないような山道を、強引に自転車で、ブレーキかけながら下っていった。向こうからのぼってきた人に聞いても、このまま行けば奥多摩湖だそうなので、さらに自信を持って降りてゆく。ここまで苦労したんだから、降りたらもう湖だろうとタクは思っていた。
 しかしやはり甘かった。
 車道が見えてきたときすごいことに気づいたのだ。
 そこはまさに、さっきわき道で避けたトンネルを抜けたところだった。看板に書いてあるトンネル名が一致している。
 3人は「人生遠回りもあるさ」「そーだね」と励ましあった。

   3

 トンネルに入っときゃきっと1分で抜けられたであろうものを、わき道に行っちゃったので30分かかった。
 ああ、なんということだ。
 いや、積極的に考えよう。
 そうだ、あそこにのどかな集落があったことがわかっただけでもいいじゃないか。
 考えてみれば、もしここに国道がこんなふうに整備されていなかったら、トンネルが掘られていなかったら、奥多摩湖に行きたい人はこの険しい山道を通らざるを得ないわけだ。当然車なんかじゃ行けないし、こんなふうにお気楽に日帰りサイクリングでここに来れるのも、人が木を切って山を削ってトンネルを掘って道を整備したからなのである。
 ここに自転車で簡単にこれるのを別になんとも思っていなかったが、タクはそういう考え方もできるようになった。
 それを考えればこの回り道は全く無駄だったわけではない。人生に回り道は付き物なのである。
 うん、サイクリングはとてもためになるなぁ。
 結局そこからトンネルは一つもなく、奥多摩湖にまもなく着いてしまった。そこで小休憩して水分補給などする。
 すわって休んでいると、なんか見たことある人が声をかけてきた。あ、さっき助けてくださったロードレーサーのおじさんですね。
 さっきのことに3人は再び礼を言い、少し話をした。おじさんは低いさわやかな声である。
 君たちこれからどこいくの?へー、丹波山なら今おじさんも行ってきたよ。そうだねえ、あそこまでは、県境越えてから10kmぐらいあるかな。ところで君たちどこから来たの?え、平間なの。じゃあおじさんのところにもちかいねえ。おじさんはね、日吉に住んでるんだよ。これから丹波山なんて行って帰ってこれるの?まあ気をつけて頑張ってね。
 まあそんな内容だ。
 時は既に2時ごろだった。このころに丹波山に着こうと計画していたのだが。
 さて、あと10kmかあ、まあすぐ着くだろう、と3人は丹波山に行くことにした。
 本当はここで引き返すのが一番無難だったのかもしれない。いい時間に帰れただろう。
 もしタクが、今日自転車で奥多摩に来るのが初めて、ということなら、きっと引き返していたことであろう。
 しかしタクは一度ここに来たことがあるのだ。
 だから、どうせここまで来たなら、最高記録のため丹波山に行っちゃいたいじゃないか、という気持ちが強かった。
 それに、ノリとツヨから、一体何しに丹波山まで行くの、と、そういえばおれたちは何でこんな苦労をしているのだろうという感じで問われたときは、「そばを食べに行くんだ」といつも答えていた。だからここで帰っちゃったらそれが果たせなくなってしまう。
 そういうのもあって、タクはここで帰る気にはならなかった。
 3人は出発した。丹波山なんてすぐだろうと考えながら。

   4

 3人は、奥多摩湖にしばらく沿って走る青梅街道をさらに先へと走って行く。
 途中にある駐車場は、はじめて3人がそろって出かけた懐かしい場所であった。
 小学校を卒業したときの春休みに3人はドライブに連れていってもらい、その時にタクは、ノリとツヨと親しくなった。
 その駐車場を、ここで写真撮ったねえとかいいながら抜けた。
 わりと平坦な道を、3人は走り続けた。
 走る。走る。
 湖がだんだん小さくなり、川に変わってゆく。
 さらに走る。
 それにしてもまだかなあ。
 あのおじさんは「丹波山は県境から10km」と言っていた。
 県境などすぐだと思っていたが、その肝心の「山梨県」の看板が出てこない。
 湖が完全に川になってさらにしばらく走ると、やっとその看板が見えてくる。
 さあついにここまでやってきた。今、あの遠い存在だった山梨県に自転車で足を踏み入れようとしている。
 3人はわざと意地になって、おれが一番最初に山梨県に足を踏み入れるんや、どっちの足にしよう、やっぱり右足かな、と先を争い、全員ほとんど同時に看板の横を通過して、それと同時に右足で地面をけった。
 気合のほうは十分である。ただし時間のほうが・・・・。まもなく3時だった。ここからさらに10kmある。
 タクは、帰りはけっこう遅くなるぞという覚悟を決めた。夜10時、11時、いや、12時になっちゃうかなあ。暗くなったらあぶないから、急がずゆっくり行こう。
 よし。ここまで来たらなにがなんでも行ってしまおう。あの丹波山のそば屋に。遅くなってもなんとかなるだろう。
 ところでそのそば屋は、小学生の時に行ったのが確かなだけで、今まだつぶれずに残っているか、今日開店しているかどうかは知らない。まあ店があれば、今日が祭日だからやってるだろうが。そんな不確実な存在のそば屋に、タクは2人を連れて行こうとしている。もしそばが食べられなかったらどうしよう。
 また坂が急になってきた。ノリとツヨはまた歩きはじめ、さっきのペースに戻ってしまった。長い10kmになりそうである。

    5

 3人は無事に、丹波山村の中心地に到着した。
 そのへんに自転車を止め、人が渡っている間だけ童謡のオルゴールのようなメロディーが流れる頑丈なつり橋を渡る。
 そしてそば屋。数年前と全く様子を変えずに営業していた。わらぶき屋根の小屋で、でっかい木のわきに立っている。
 メニューはただひとつ、「もりそば 500円」。
 小屋の外の席に、それは運ばれてきた。
 それはやはりうまかった。この味も変わっていない。
 そしてもうひとつ変わっていないのが、「そば湯」である。
 そばをゆでたときの湯だと思うが、飲むと体が温まって味もよろしい。
 ノリとツヨは、そばはうまそうに食べていたが、この「そば湯」はあまり好みでなかったらしい。タクがほとんど飲んでしまった。
 そば屋のおばちゃんが、「これ飲んだ?、おいしいでしょう、『そば湯』っていうのよ」なんていいながら近づいてきた。
 タク 「あ、これおいしいっすねえ」
 ノリ 「・・・・・・・・(黙って苦笑い)」
 ツヨ 「・・・・・・・・(黙って苦笑い)」
 そういえばこれも変わっていない。以前来たときも同じだった。きっといつも必ずこうやって声をかけるんだろう。
 おばちゃんには、高校生3人組がオートバイでツーリングにきたと思われたようだ。川崎から自転車で来たことを話すと、驚き、きっと半分あきれていた。まあ気をつけて帰ってねといってくれた。
 タクは、このそばだけじゃ食べ足りないなと思い、土産屋でけっこうでかい羊かんを一本買った。
 それを3人で分けようと思ったのに、なんとノリとツヨは、疲れ過ぎてこれ以上食べる気がしないと言ったのだ。
 さあ大変。食べかけをかばんに入れるのもなんかベタベタしていやなので、タクは、少し2人にあげながらもお茶を飲みながら全部食べてしまった。少し気持ち悪くなったが、このとき食べた羊かんがあとで大きな意味を帯びてくるのだ。
 さあ、午後4時である。
 彼らは、ここまで来るのに約10時間かかっていた。
 それでタクは、帰りは下りだから5,6時間で帰れるかなと予測した。行きに遅くなったのも、トラブルや遠回りやきつい坂道があったからだし。帰りにそんなことがなければそのぐらいで帰れるだろうと。
 3人とも家に電話して、帰りが遅くなることを告げた。
 さあ、早く行かねばならない。
 天気のほうは心配ない。
 だが、山道で暗くなったらかなりまずい。
 早く進むのが困難になる。
 せめて7時までには山を抜けなければ。
 地図を見て、近道かもしれない道で奥多摩湖岸に行こうと、違う道を行ってみた。
 その道は、急坂で始まった。さっきひっかかったわき道ぐらいである。すぐ下りになるだろうと、そのまま懸命に進んだ。
 そして、ついにペダルをこげないくらい傾斜がきつくなった。
 もうのぼるのはいやだ。さっきのわき道の二の舞にもなりかねない。「人生あきらめが肝心」と、よく国語の尾高先生も言っているではないか。
 というわけでその道はさっさとあきらめて一気に坂をくだって戻り、そのまま、来た道を走りはじめた。
 それにしてもくだりは最高である。ぐんぐん風をきる。今までのぼってきた苦労が報われた気がする。3人は、車も少ないので思う存分楽しんだ。
 一行が奥多摩湖のはじっこにたどり着いたのは午後5時ごろ。
 ここから、来た道と違う道を行くことは、最初から予定に入っていた。
 「奥多摩周遊道路」という、昔有料道路だった道を通り、檜原→五日市→八王子と帰ってくるプランである。
 きっとずっと下りだろうから、2時間もあれば五日市とか八王子に行けるであろう。
 そのように、おれらはいままできつい坂道をのぼってきたんだから、帰りは下りばかりだろう、という思い込みをタクはしてしまったのだ。
 思い込みというのは恐ろしいもので。これからすごいことになってしまうことを、タクは知る由もなかった。

  6  

 奥多摩湖のはじっこにかかる橋を渡るとすぐに、奥多摩周遊道路の入り口がある。
 昔の料金所がそのまま残っているところに、「奥多摩周遊道路は午後7時になったら閉鎖します」という看板があったが、そんなに遅くなるはずはないので、もちろんそのまま進む。
 まずのぼり。
 まあちょっとぐらい上りはあるだろう。じきに下りに変わって、最高の気分で一気に降りるんだ。楽しみだなあ。
 まだのぼり。
 だいじょうぶ、すぐにくだりになるんだから。あのカーブの向こうはもう下りかもよ。
 ところがなかなかくだりにならないのだ。道路に入ってからの距離を示すポストは、1km、1.5km、2km、3kmと確実に数字を増やしていくのだが、くだりはほとんど、いや、全くなく、上る一方だ。
 5kmを越えるぐらいになってくると、ずっと歩いている2人もいやになってくる。もうノリはやけになって自転車をけっている。「こんな自転車!」とわけがわかんなくなっている。彼が、この自転車こぐのが重い、めちゃめちゃ重い、もうこげない、と泣きそうな顔で言うので、タクは自転車を交換してあげ、かばんも持ってあげた。なんとノリの自転車のペダルは、タクのよりは軽かった。それだけノリは疲れ、錯乱していたのだ。
 タクは、自分のせいでこうなっちゃったんだよなぁと、責任を感じて、一生懸命2人を励ます。ここまで来たからにはもう戻るわけにはいかないんだ、きっともう頂上はすぐそこだろう、とにかく休みながらでもいいから進もう。
 ポストは、8km、9kmときたが、くだりはない。
 ちょっと先見てくる、とタクは一人で何度も行ってはまた戻ってきて2人の様子を確認する。ツヨもかなり疲れ、足が痛くなっているようだ。
 ああ、素直にきた道戻ってればよかった、と後悔したがもう遅い。「人生あきらめが肝心」を守っていれば・・・・。もうなんとかするしかない。かなり暗さが増してきていた。
 タクは先を見に行ったあるとき、駐車場で家族連れの人たちが夕焼けをみていたので、おやじさんにあとどのくらいで頂上か尋ねてみた。すると、もうあと何百メートル行ったところだよ、気をつけてねと優しく答えてくださった。
 タクはそこまで見に行き、ようやっと頂上を確認した。おお、ついに下りだぁ。そして猛スピードで来た道を下って2人に知らせに行った。
 ぐんぐん下るのだが、なかなか2人が見つからない。
 1kmぐらいは下りただろうところでやっと2人を見つけた。彼らは道端に座り込んでいた。もうだめだ歩けない、というふうに。かなり暗い。2人も空も暗い。
 もう本当にどうしようもない状況になってしまった、とタクはそれを見て直感した。
 タクは、「無事に帰れますよう導いてください」と、熱心に祈っていた。
 さあ、もうこうなったら自分の力ではどうにもならない。だれかに助けてもらうしかない。
 タクは、父親が、いざとなったら自転車をそこに置いたままにして電車ででも帰ってこれば、近いうちにトラックでそこへ行き、自転車を取って来てやると言ってくれていたことを思い出していた。今まで行った数々のサイクリングでも、実際そうしたことはなかったが、ついにそのときがきたのだ。
 もう通る車の数はかなり少ない。
 じかんはすでに7時をまわっている。
 なんとかしよう、とにかくなにか行動を起こさなければ、とタクはたまたま通った車の前で手を挙げ、止まってもらった。
 もし許してくれれば、自転車をそこへ置いたままにして、JR五日市駅まで3人送っていただこうと思っていた。
 車から、「どうした?」と言って出てきたのは、20代くらいの2人の優しそうな男性だった。
 タクは事情を話し、なんとか助けていただけないでしょうかとお願いした。
 すると2人のうち一人が、「近くの駐車場にパトカーがいたから呼んでくる」と言ってくれたのだ。ひとりはここに残ってくれているので心強い。
 これで助かる・・・・、と同時に、ついに警察のお世話になってしまうのか・・・・。
 やがて5分ほどたって、その車とパトカーが一緒にやってきた。
 パトカーから、40くらいの中年警官と、20代くらいの若い警官が出てきた。
 聞かれることに次々と答えてゆく。中年警官はなかなかひょうきんな人だった。
 ああ、これで帰れるんだという安心感とともに、神が導いてくださったことへの感謝や、突然助けを求められて親切にしてくださった2人の若い男性に対する感謝が次々にわき起こってきた。
 その時に警官に聞いたのだが、気温は5℃だった。5月上旬とはいえ、山の夜は寒い。タクやツヨは上着を着ていたが、ノリはTシャツ一枚でさぞ寒かったろう。
 チョコロールパンもくださった2人の若い男性に何度もお礼を言い、まずは派出所へ向かう。
 足をいためてもう自転車をこげないツヨは、パトカーに乗り、その自転車はトランクに積まれる。
 ノリは、おれは大丈夫だと言った。
 タクもまだ十分元気があった。
 もう真っ暗なので、後ろからパトカーのライトに照らされ、タクとノリはゆっくりこぎ進む。
 パトカーのスピーカーからは何度も、「がんばれー、もう少しで下りだぞー」という中年警官の声が響いてくる。
 やがてノリも疲れてダウンし、パトカーに乗った。自転車はもうトランクに積めないので、どちらかの警官がこいでいくことになった。
 若いほうの、巡査の内藤くんは、「私がやりましょうか」と言ったのだが、中年太りの警官は「たまには運動しよう」と、ノリの自転車を懸命にこいでいった。けっこうきつそうだった。
 ここで、タクが丹波山で羊かんを1本食べたことが大いに生きた。まだまだパワーは残っていたのだ。やはりこういうときに甘いものを食べておくとかなりちがう。
 やがて下りになり、15分ほど走ると派出所が見えてきた。

  7  

 「都民の森」派出所の中は、ストーブが炊かれていてあたたかい。警官が7,8人いて、菓子をすすめてくれた。
 そこでひとまず家に電話して事情を話す。途中で警官に替わってもらう。
 3台の自転車と共にバンに乗り、一行は五日市署へ送られる。
 タクは眠りそうになりながらも少し警官と話をした。
 警官A「何、それじゃあ八王子通って川崎まで帰ろうとしてたの」
 タク  「はい」
 警官A「多分帰ったら2時、3時になってたよ。良かったねぇ助けてもらえて。そういえばさっきニュースで見たけど36時間夜も寝ずに走って自転車で青森まで行った人がいるってねぇ」
 タク  「へぇー」
 警官B「都民の森から五日市までだけでも車で4,50分かかるんだよ」
 タク  「えー、そんなにかかるんですか」
 やがて3人は眠りに落ちていた。
 五日市署では簡単な書類を書いた。
 3人が特に感激したのは、ごちそうしてくれたカップラーメンだった。「一平ちゃん」のとんこつだったろうか。あれほどうまかったカップラーメンは今までになかっただろうなとタクはあとで思った。
 冷えた体をあたためてすきっ腹を満たすのに、ラーメンほどいいものはない。
 自転車は五日市署に置いておき、近日中に親に取りにきてもらうことになった。
 それにしても、警察にお世話になると、学校に連絡されたりして面倒なことになるのではないかと思っていたのに、結局全然そんなことはなかった。
 「二度とこんなことするなよ」と言われるどころか、「ちゃんと地理を調べてまたおいで」とまでいってくれたのだ。
 五日市駅から3人は電車で帰った。
 「助かったんだねぇ」とお互いに何度も繰り返しながら。
 帰ったのは真夜中12時の少し前だった。


  8

 とまあ、ドラマのようなこんなことが本当にあったのだ。
 今回のサイクリングでは、多くの人の暖かさにふれることができた。
 自転車を直してくださったロードレーサーのおじさん。
 暗やみからの突然のSOSに応じて助けてくださった2人の男性。
 確実に帰れるように配慮してくださった警官の方々。
 へたしたら命も危なかったかもしれなかったが、ものすごく貴重な経験をすることができたと思う。
 一緒にいった2人は遠いサイクリングは初めてなのに、丹波山に行こうと決めてしまったのは失敗だったなぁ。
 「まあなんとかなる」は一人ならいいが、他の人に迷惑かけちゃいけないのだ。一緒に行った2人のご両親もものすごく心配されただろう。
 そう、一人なら、だいじょうぶだ、ということで今度は箱根に挑戦。


  9  

 タクは朝5時半に起きた。1996年8月22日(木)である。
 用意を済ませ、ロードレーサーにまたがる。
 丹波山に3人で行ったときも、去年の10月9日に一人で奥多摩湖に行ったときも、いつも乗っている黒い自転車で行ったので、ロードレーサーは久しぶりだ。
 タクは2日前の火曜日に、壊れていた後輪のチューブを替え、テストランも少しして、ロードレーサーを整えておいた。
 さあ、出発である。現在時刻を覚えておこう。5時45分だ。
 さて、道路にでて2,3回こいだとき、タクは自転車の異変に気づいた。
 なんか前輪の感覚がおかしい。リムで走っているようだ。
 まさか・・・・・・・・
 心配した通り、まあなんと前輪の空気が抜けていた。
 えー。
 すぐ修理や。
 家の前に戻って、用意しておいたパンク修理道具をかばんからとりだし、さっそくやった。
 チューブの穴がわかりにくいので、洗面器に水を入れてチューブをひたした。
 細かい穴が2,3かたまってあいていた。
 タクは一気にそれをふさいでしまおうとパッチをはり、しばらくかわかしてからもう一度確認のためチューブを水にひたした。
 するとまた、今はったパッチの縁から細かく空気が出ているではないか。
 なにぃ!
 タクはまたその上からさらにパッチをはったり、全部いったんはがしてはりなおしたりして、いろいろ試行錯誤していったが、はってもはってもいつもパッチのふちからさらに空気が出てきてしまう。
 こりゃあかんと家で寝ている父に相談に行った。
 チューブ変えな、と新しいのをくれたので、さっそくチューブ交換する。
 そしてそれに空気を入れる。
 あれ?
 何べん入れてもチューブがふくらまない。
 おかしいなと、新しいチューブを一回取り出してみたところ、なんとそれはパンクしていた。
 新しいチューブがパンクしているのだ。そんなのありだろうか。
 このときタクは、時間を気にしてとてもあせっていた。
 両親には、箱根なんて時間なくて行けないだろうと思われていたのだが、タクは、「もし本当に時間なくなったら途中でも折り返してくるから」と言ってその反対を押し切っていたのだ。
 本当に早く出発しないと、折り返すことになってしまう。
 それなのに今、チューブ相手に苦戦している。
 新しいチューブのそのパンクをタクは直して、再びタイヤにチューブをおさめ、はずしたタイヤを車体に取り付けようとした。
 また、あれ?
 タイヤの中心に開いていたはずの穴がふさがっている!
 いろいろな方法でこじあけようとしたり力ずくで穴をたたいたりしても(いちおう壊さないように気を遣っていたので全力ではないが)全然かわらない。
 再び家にいる父のところに相談に行った。穴の詰まったタイヤを持って。
 父はすでに起きていた。
 ちょっとドライバーとハンマーを持ってきて、と言われたので、そうした。
 すると父はドライバーをクギにしてハンマーでガンガンとタイヤの詰まりをたたいたり、ドライバーの先で詰まりをガリガリ削ったりした。へえ、そんなことしちゃっていいのかぁ。
 父によると、なんと、こうなったのは、砂とか石のあるところでタイヤを寝かして穴を下に向けて修理したことが原因だった。タイヤを回しているうちに、穴から砂が徐々に入り込んでいって固まってしまったのだ。
 父は苦戦の末、穴を開通させてくれた。
 さあ、タイヤつけてはやく行かなくては。
 タイヤを取り付け、もう変なところはないかと自転車の各部を再確認したとき、リヤブレーキがちょっとゆるんでいて、ブレーキを握らなくてもタイヤに擦れてしまいそうだったので、なおそうと工具をとりに行った。
 直そうとしているところに、父が仕事着で様子を見にきてくれた。
 そこは直さなくてもよいようだった。
 タイヤのスポークをちょっといじれば直ると、父は調整してくれた。
 いいなぁ。自転車のメカニズムにさらに詳しくなって、そのぐらいのことはできるようになりたいものだ。
 さて、やっと出発できることになったのは7時15分。
 さっき一度出発しかけてから1時間半経っていた。
 タクは箱根へむけて走り出した。

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