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中3・日帰り自転車旅行スペシャル
(中3の時書いた作文)
続き
10
鶴見川を鷹野大橋で渡って、新横浜方面を通って、緑産業道路で都筑区佐江戸町まで行って、そこから中原街道で神奈川県の真ん中を突っ切る。いつものタクのそっち方面への行き方だった。
中原街道に入ってしばらくして、朝食を食べていなかったタクは休憩。
そこは旭区で、まだ8時15分。出発して1時間。順調である。
茅ヶ崎の海沿いに着いたのは10時15分頃。
そこからR134やR1や西湘バイパスに沿って走るサイクリングロードを通り、小田原市もだんだん、箱根に向かいますよというムードになってくる。
そこでパワーを補給。
ここでしっかり前回の丹波山サイクリングの教訓が生かされているのだ。
きつい坂道の前には甘いものを大量に食べておくこと。
タクはそこのセブンイレブンで、アンパンやチョコを食べた。
道はだんだん坂道に。海沿いの標高0mから箱根の山の1000m近くまで一気に登るのだ。
ところでこのへんは、有料道路の出入り口が多い。看板を非常によく見かける。
二宮からくる西湘バイパス、東名厚木インターから来る小田原厚木道路、静岡県との境である箱根峠までつづく箱根新道や、それとほぼ平行に走る箱根ターンパイク。
箱根新道の入口が正式な箱根口らしく、そこから距離をあらわすポストが500mごとに立っていた。
箱根湯本を過ぎ、にぎやかな街を抜けると急に、坂は急になる。
しばらく走りながら考える。ここはちょうど、3人で行ったとき遭難した奥多摩周遊道路ぐらいきついなぁ。下りがない。車はあそこよりもうんと多いし。
たくさんの車に追い抜かれ、楽々登っていくオートバイを見ながら、帰りに最高の気分で風を切って一気に降りてくることを夢見て、タクは懸命にじりじりと芦ノ湖へ向かって走る。
11
ここの国道1号線は、箱根登山鉄道に沿って走っている。
タクは箱根湯本から2つ目の駅、太平台駅前で、自販機で紅茶を買って飲んで休んでいた。駅前なのに、だれの姿も見当たらなかった。
そうしているときに、後ろから人が近づいてきた。
そして声をかけられた。20くらいの、髪をまだらに茶に染めている男性である。
「オレ、朝にこの自販機で1000円入れたら戻って来なくなっちゃったんだよねえ」
「それはとんだ災難ですねぇ」
「この自販機どこの店のか分かる?」
なんでそんなことわしに聞くんじゃ!知らん!とタクは言いたかったが言えなかった。
そのあと、どこから来たの、とか、どこいくの、とかお互いに聞きあったりして社交的な会話になる。まあ優しい印象の人だった。
今、困ってるんだ、という話題になる。埼玉から来たんだが、帰るガソリン代も高速代もないし、道に迷っている、と。
そして、恐れていたあの言葉がついに発せられた。
「ちょっとお金貸してくれない? 2000円くらいなんだけど」
ちょっとガソリンメーター見てよ、と、後方5mほどのところにあった、赤いミニパジェロを見に行かされる。一人で来ていたようだった。
さあ、決して警戒を怠ってはならない。
メーターをのぞくときも、タクは後ろから車に押し込まれないようには身構えていた。
その人はいつもドリフトやってるらしく、車体もタイヤも傷だらけだった。
どうやら困っているのは本当らしかった。いや、後で考えるとあれは演技だが、タクはまんまとだまされた。
すると、タクはお金を貸そう、という方向に心がぐらりと揺れてしまったのだ。
そう、タクの心にはあのことがひっかかっていた。
自分も命を助けてもらったんだ。突然のSOSで。相手には助ける義務などありゃしないのに。
交番で借りたらどうですか、と言ったら相手がひょう変して襲ってくることが考えられなくもなかったし。
タクは、最初のうちは、「でも僕もお金があんまりないんですよねぇ」というようなことを言っていたが、男性がじゃあ1500円、と言ったときに、それぐらいなら・・・・と貸してしまった。
この時代、貸したお金が戻ってくることなど滅多にない。しかもこんな口約束で。それは知っていたのだが、タクは雰囲気に流されて、貸してしまった。父には申し訳ないが、その1500円を捨てるつもりで。
10000円もらってきていたので、お金に困るということはなかった。
名前、住所、電話番号は当然紙に書いて交換したのだが、タクは相手からもらったそれを見て、あとであきれて笑ってしまうことになる。それは後で書く。
とにかく、タクは1500円だましとられてしまったのだ。うまい詐欺だなぁ。純粋な中学生をだますとはけしからん。
タクはその兄ちゃんよりも一足先に駅前を出発したが、しばらくいくと追い抜かれた。
兄ちゃんはクラクションならして、こっちを向いて右手をあげて「サンキュー」というようなさわやかなあいさつをしていた。タクもそれに答えて右手をあげた。
さてタクはさらにきつくなる坂をのぼりつづける。宮の下をすぎ、小涌谷をすぎ・・・・。
12
ポストの数字が11kmぐらいのところで、タクは「元箱根 6km」の看板をみつけた。
タクはもうかなりつらい状態である。彼にとってこの看板はあまりよい知らせとは言えなかった。この道をまだ6kmも行くだとぉ。
そういうとき、「とにかくこいでいればいつかは着くさ」と考えるのが一番いいことをタクは知っていた。それで走り続けられる。
時間は予定より遅れていたが、一人だからなんとかなるのである。
そしてついに、ポストが16.5kmのところで、タクは喜びの叫びを心の中であげた。
「国道1号線標高最高地点 873m」(でかい看板)。
やったあ、ついに下れるぞ。
そこから一気にくだる。おお、芦ノ湖が下に見える。
タクはここで気づいた。そうか、あのとき奥多摩湖が下に見えたのも当然だったんだ。
よくよく考えてみると、湖があるということは、周りに山があるということなのだ。周りに山がなければ湖はできないのだ。
だから、当然、湖に行くには山を越えなくてはならない。
奥多摩湖に山を越えなくても行けるのは、やたらとトンネルが掘られているからなのである。山を越えずに山をくぐってしまうので、楽に行ける。
もしトンネルが掘られておらず、青梅街道が山に合わせた道だったなら、奥多摩湖がいまのような観光地になることはなかっただろう。山奥のひっそりしたふるさとみたいだったかもしれない。なぜならあそこには、タクたちがわき道で体験したように、ものすごく急な斜面の山が無数にあるからだ。人が山を削ってトンネルを掘ったからこそ、首都圏から日帰りで簡単に行ける観光地となったのだ。(似たようなことをまえにも書いたような気がしてきた)。
だからタクがあのとき奥多摩周遊道路に、「ずっと下り」を期待したのは、ぜいたくもいいところだったのだ。(そういえばあそこにトンネルはひとつもなかったなぁ)
箱根にも、トンネルは数えるほどしかなかった。だから、一度芦ノ湖を見下ろすことは、当然のなりゆきである。
その芦ノ湖の岸の町、元箱根にタクは勢いよく一気に着いてしまった。
まずは湖に行って、ハンドルに擦れて熱くなっている手を冷やそう。今日は革手袋を忘れていたことに、今ごろ気がついた。いったん取りに帰ろうかなあ。
そして証拠写真を撮り、何か飲んで食べよう。
タクは缶ジュース2本飲み、食堂に入ってチャーハンとサイダーを頼んだ。
とにかく何か飲みたくてしょうがない。でも食欲はあまりない。ものすごく疲れているのだ。
今、両太ももの裏の筋肉がカッカしていて、立ち上がるのもやっとという状態になっている。
とりあえず筋肉がおさまるまでゆっくりここで休んでいこう。クーラーもきいてるし。
時刻は2時20分。3時くらいまでは、いれるだろう。
タクはチャーハンをゆっくりゆっくり食べた。
食べ終わったら、地図でも見るふりして休んでいた。
ところでその食堂はわりと広く、テーブルが12ぐらいあった。その時食堂に客は、タクと、彼の後ろのほうにいる、父と母と小学校入るか入らないかぐらいの男の子の家族連れしかいなかったのだが、その父子の会話がほほえましかった。
子「たべおわったらうみいこう」
父「あれはみずうみだよ」
子「ふーん、みずがあるからみずうみっていうのかなあ」
父「・・・・・・・(黙ってごまかす)」
なんか、ええなぁ。
さあ、もうすぐ3時だし、そろそろ帰ろう。
タクがトイレに行っている間、店内に流れる曲は、パフィー「simple」から奥田民生「愛する人よ」に変わった。
家に電話し、もう一本ジュースを飲み、もう一枚写真を撮り、タクは元箱根を出発した。
うう、またのぼりだ。
さっきくだってきたんだから。
それでも、これから15km坂を一気に下れることを考えると、うきうきしてくる。
こんな坂なんでもない。
タクは最高地点の看板のところで、一度止まり、時間を確認した。3時15分か。2時間かけて登ってきた坂を何分で降りられるか、よーい、スタート。
そこからはもう最高である。なにも苦労しなくていい。さっきまでの努力が報われるすばらしいときである。快適なスピードで、車のようなスピードで、時には車をぬかしながら。
お、この車抜かれまいと必死になってるぞ。
はっはっは、さっき必死にこいでいる私をしり目にらくらくのぼっていったばつだ。
(別にその車だったわけじゃないだろうが)
そうやってさらにいい気分になる。
車は混んでいると動けないが、自転車は平気で降りていく。
それもまたグー。
結局タクは、30分で小田原についてしまった。
よし、行きはのんびりきちゃったから、帰りはまじめにペダルをこごう。
ひたすらぐんぐんはしる。車道をはしる。
5時頃寒川で少し道に迷ったが、順調に進んでいる。
藤沢市の用田交差点も過ぎ、このままいけば7時には帰れるか、というかんじだった。
もうすでに、行きに1時間で来た旭区にきている。
しかし、保土ヶ谷パイパスをくぐったそのとき・・・。
ガキンッ。
タイヤがなにかかたいものを踏む音。
すぐに交差点があって、赤信号なので止まる。
シュー・・・・・・・・・・・・・・・・。
タイヤはぺしゃんこになっていた。
もう空は夕焼けが濃くなっている。雲がどこにもない。
タクは歩道に自転車を上げ、パンク修理することにした。
けっこう大きな穴があいたらしく、どこに穴があるのか確認しようとして空気を入れてみてもすぐ抜けてしまうので、なかなか穴が見つからん。
やっと見つかった穴にパッチをはるのも失敗した。
そしてパッチは、朝出発前に使ってしまったのでもうない。
さあもうどうしようもないから、自転車屋でも探しながら歩いて行こう。
家に電話して、こういうわけで遅くなる、と伝える気にはならなかった。
父が、6時を過ぎたら暗くてあぶないからそこから電車で帰ってきたほうがいいと言っていたからだ。
今、まだかなり家から遠くにいる、という状況だったらそうしただろう。
でも、もうここまで来ている。あと1時間も走れば帰れるのだ。
だから、せっかく箱根に行ったなら、ちゃんと最後まで走って一番遠くまで行った自己最高記録を作りたいではないか。帰りが8時、9時になっても、気をつけてゆっくりはしればいい。今家に電話したら、微妙な線だが電車で帰って来いと言われるかもしれず、こわかったのだ。
だからタクは歩いてでも進み、乗れるところでは自転車に乗ってしまった。リムがいたみ、タイヤもずるずる滑ってあぶないのだが、ちょっとくらいいいや、とそうした。ゆっくりと。
そういえば自転車屋、行くときには見なかったなあ。この道沿いにはないんだろうなあ。
じゃあちょっと人にきいてみよう、と、タクは小さなバイクのショップに入った。
バイク屋ならサービスで直してくれるかもしれないというずうずうしい希望も少しあった。
店の主人らしきひとは、外でバイクを動かしていた。きいてみると、自転車屋はこの道をけっこう離れないとないそうであった。
そして、ちょっと不安になったとき、ご主人さんは、裏の工場に行けばなおしてくれるよ、と言ってくださったのだ。
やった!
20代くらいの男性がやってくださったのだが、なんとチューブを替えてくれた。ロードレーサー用のチューブがなぜバイク屋にあったかは疑問であるが。
そして料金も、チューブ代の1000円のみ。すごいサービスをしていただいてしまった。
何度もタクは礼を言って、さっそく残りの道を突っ走る。
新横浜の近くで、あと数十分で帰る、と家に電話もし、暗い道をメガネをかけてはしった。
そうだ、考えてみれば、夕暮れのころにもうメガネをかけていれば、あれを踏まなくて済んだかもしれない。何を踏んだのかは結局確認していないのだが、ただの石だろうか。メガネをかけていなかったので見えなかったのだ。
そう、タクは目が悪く、近視と乱視とガチャ目をあわせ持っていた。
それで2日前からメガネをかけているのだ。だんだん慣れてきたころだった。
とにかく、タクは無事に8時半に帰宅した。
13
さて、太平台駅前で1500円貸してしまったことについて語ってゆこう。
まずは、あれが返ってくるかどうかである。
99.9%返ってこないであろう。
住所交換の時、相手が私に渡した紙はこのようなものだった。
「 桐生 正彦 0276-40-2059 〒107-23 埼玉県児玉市児玉48-7 」
(ガソリンスタンドの領収書を半分に切ったもの、の裏。その領収書の金額は1000円ジャスト。原文にははりつけてあった)
よく考えると、「ガソリン1000円ください」、と言うようなお金の無い人なのか。きっとあちこちで借金だらけであろう。
お金を貸したときは、「まさかこのひとうそ書いたりしないでしょうねぇ」と疑っていたのだが、実際に紙を見て、これならだいじょうぶだと私は納得してしまったのだ。
その兄ちゃんもうまいよなぁ。
きっといつもこんなことばっかりやってるんだろうなあ。よくこんなデタラメをパッパと思いつくもんだ。
そう、あとで電話帳や郵便番号帳を調べたら、何とこれは架空の情報であることが分かったのだ。
それを知った瞬間思わずあきれて笑ってしまった。
まずどこが違うかというと、住所。
埼玉県児玉郡児玉町はあっても、埼玉県児玉市なんてないのだ。
児玉市児玉48-7とは、簡単な住所でいいなあと思っていたら・・・。
そして、次の手掛かりは電話の市外局番。
0276は、群馬県太田市などで、埼玉県ではごく一部しか使っていない。
そういえば、あのミニパジェロは群馬ナンバーだった。「車は群馬で買った」とその男性は言っていたが、きっと近くの、知っている局番でも使ったのだろう。
さらに郵便番号107-23は存在せず、〒107は、港区青山や赤坂の番号だった。その時その人は、郵便番号は違うかもしれないからもう一度調べてみて、と言っていたが、この番号は埼玉と全くずれている。埼玉県の郵便番号に、1で始まるものはない。
とまあ、完全にだまされたのであった。
父は、中学生をだますなんて、とプンプン腹を立てていた。
母は、1500円は社会勉強の事業料だ、と言った。
なにはともあれ、またもしこういうことがあったらどうすればよいだろうか。
これをいろいろな人に相談してみた。免許証を見せてもらえばいい、とか、交番で貸してもらうように言ったら、とか、人生そういうこともあるさ、とか、いろいろな答えが返ってきた。
また、こういう経験は他の人もしているようだった。
被害額は500円から30万円まで様々だが、お人よしの人はこういう経験をするものなのかなあ。私は普段からだまされやすいしなあ。
じゃあ1500円でよかった、と言うべきであろう。
もしこのような経験を今回しなかったなら、こういうことを考える機会がなくて、だまされやすい私は将来何万ととられていたかもしれない。
うん、父には申し訳無いが、これはいい経験だった。本当に社会勉強の事業料だった。
そう考えよう。
それにしても、サイクリングをしていると波乱に富んだ経験ができる。
あとがき
今回これを書いた目的は、自分の貴重な経験を記録にとどめておくことである。
だから、もしかしたら私にしか分からないような表現があって読みづらいところもあったかも知れないのだが、そこは許していただきたい。
こんな長い文章を書いたのは初めてかもしれない。
いまワープロを使ってこの稿をまとめているのだが、今までNo.1から数えて、約19300文字入力してあることになっている。
もしこの作文を400字詰め原稿用紙に1マスもあけずにぎっしり詰め込んだとしても、全部で48枚になってしまうではないか。平均的なところで一枚につき330字にしたら、58枚である。
サイクリングは、私にとって楽しい趣味の一つとなっている。
今度はどうしようかなぁ。
日帰りなら、丹波山に行って最後まで走って帰ってきたいし、芦ノ湖一周もしたい。千葉方面もいい。
それにしてもパンクぐらいは失敗なく直せるようになりたいものだ。もう少し自転車をいじる技術を身につけなければ。
そして、だれかと共に行くときには無謀なことはしてはいけない。
1996年9月6日
おわり
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