Parenting 2013-2014
あなたはどっちが見やすいですか。どっちが声に出して読みやすいですか。情報管理の参考に。
ヨコ
イルカ クジラ ウシ シカ イノシシ ウマ アザラシ アシカ ネコ マングース イタチ イヌ
オオカミ キツネ タヌキ クマ リス ウサギ サル コウモリ モグラ ネズミ そして人間
タテ
イルカ
クジラ
ウシ
シカ
イノシシ
ウマ
アザラシ
アシカ
ネコ
マングース
イタチ
イヌ
オオカミ
キツネ
タヌキ
クマ
リス
ウサギ
サル
コウモリ
モグラ
ネズミ
そして人間
ヨコ
イルカ クジラ ウシ シカ イノシシ ウマ アザラシ アシカ ネコ マングース イタチ イヌ
オオカミ キツネ タヌキ クマ リス ウサギ サル コウモリ モグラ ネズミ そして人間
タテ
イルカ
クジラ
ウシ
シカ
イノシシ
ウマ
アザラシ
アシカ
ネコ
マングース
イタチ
イヌ
オオカミ
キツネ
タヌキ
クマ
リス
ウサギ
サル
コウモリ
モグラ
ネズミ
そして人間
たくさんの情報をわかりやすく、しかも効率よくインプットして整理整頓保管していくことに何年もこころを砕いている。
キーボードをはやくうてるようになったので、なんとかすべてをキーボードとマウスですませられないかという試みをしてきた。
図にすればわかることでも、図をパソコンで作るのは、ソフトを入手したり使い方を覚えたりしなければならないことが多いので、なんとかそれを文章で済ませようとしたり。
そんなことをしていくうちに文章のデメリットが見えてきた。
文章のデメリット(インプットするとき)
・細かい表現にこだわっているうちに次になにをかくはずだったか忘れてしまう。そのようにしてアイデアが失われる。
・パソコンのキーボードなら早く打ち込めるが、タブレットのキーボードは小さいし使いにくいしミスタイプも多く、入力が遅くなる。
文章のデメリット(あとで情報を使うとき)
・ぱっと見で内容をつかみにくい。
・そもそも読む気になるのにハードルが高い
もちろんメリットだってある。文章を使うほうがいい場合もあるはずだ。でも、こういうデメリットがあるのだ。
かわりにどうすればいいか。
それは、A4の紙を横に使って、そこに自由に手書きしてしまい、それをスキャンすることだ。
手書きのとき文章にするよりも、キーワードをならべてそれを線でつなぐような感じにしたり、重要度別に大きさを変えたりして、あとでわかりやすいように、できれば他の人に見せてもある程度わかってもらえるようにする。
そもそも文章というのは頭の中に考えがあってそれを表現するわけだが、その過程で「キーワード」をつなげていく。
その、つなげるという過程を、言葉でなく、なるべく図でやると、よけいな時間もかからないし、あとで見やすい。
パソコンだとこれをするのにいろいろ面倒なのだが、手書きならペンを思うまま動かすだけだ。
この方法は最高だ。
たくさんの生きた情報を保管していくのによい。
手書き+スキャンのメリット(インプット時)
・紙とペンがあればはじめられる
・思ったままペンを動かしてかけるのでちょっと頭に浮かんだ瞬間、忘れる前に書き込める。
・フォーマットの制約がない
・パソコンに取り込んだあとも画像ソフトで微調整がきく
・なんだかキーボードの打ち込みよりも頭が回転していろいろアイデアがでてくる気がする。
手書き+スキャンのメリット(あとで情報を使うとき)
・フォーマットの制約がないのでぱっと見で内容をつかみやすい。
・読む気になりやすいというか、いつのまにか見入っている。
・さらに新しい情報があれば書き込める。印刷して手でかくもよし、画像ソフトで書くもよし。
仕事ではわたしはそうしている。事務所のスキャナーはいつも手近にあって、性能もいいからだ。
しかし、スキャンの手間がかかるというデメリットがある。
仕事ならすぐスキャンする手間をかけられるが、家庭ではそうもいかない。いつかスキャンすればいいやとたまっていくと、その情報は鮮度を失っていく。
やっぱり情報は、鮮度のあるうちに、整理整頓してしまうのがよいのだ。
そういうとき、タブレットとタブレットペンの組み合わせが便利だ。
手書きのできるアプリはたくさんある。私はAndroidの、Metamoji Noteというフリーソフトを使っている。
やりかた
・そのソフトで画面に手書きする。
キーボードをはやくうてるようになったので、なんとかすべてをキーボードとマウスですませられないかという試みをしてきた。
図にすればわかることでも、図をパソコンで作るのは、ソフトを入手したり使い方を覚えたりしなければならないことが多いので、なんとかそれを文章で済ませようとしたり。
そんなことをしていくうちに文章のデメリットが見えてきた。
文章のデメリット(インプットするとき)
・細かい表現にこだわっているうちに次になにをかくはずだったか忘れてしまう。そのようにしてアイデアが失われる。
・パソコンのキーボードなら早く打ち込めるが、タブレットのキーボードは小さいし使いにくいしミスタイプも多く、入力が遅くなる。
文章のデメリット(あとで情報を使うとき)
・ぱっと見で内容をつかみにくい。
・そもそも読む気になるのにハードルが高い
もちろんメリットだってある。文章を使うほうがいい場合もあるはずだ。でも、こういうデメリットがあるのだ。
かわりにどうすればいいか。
それは、A4の紙を横に使って、そこに自由に手書きしてしまい、それをスキャンすることだ。
手書きのとき文章にするよりも、キーワードをならべてそれを線でつなぐような感じにしたり、重要度別に大きさを変えたりして、あとでわかりやすいように、できれば他の人に見せてもある程度わかってもらえるようにする。
そもそも文章というのは頭の中に考えがあってそれを表現するわけだが、その過程で「キーワード」をつなげていく。
その、つなげるという過程を、言葉でなく、なるべく図でやると、よけいな時間もかからないし、あとで見やすい。
パソコンだとこれをするのにいろいろ面倒なのだが、手書きならペンを思うまま動かすだけだ。
この方法は最高だ。
たくさんの生きた情報を保管していくのによい。
手書き+スキャンのメリット(インプット時)
・紙とペンがあればはじめられる
・思ったままペンを動かしてかけるのでちょっと頭に浮かんだ瞬間、忘れる前に書き込める。
・フォーマットの制約がない
・パソコンに取り込んだあとも画像ソフトで微調整がきく
・なんだかキーボードの打ち込みよりも頭が回転していろいろアイデアがでてくる気がする。
手書き+スキャンのメリット(あとで情報を使うとき)
・フォーマットの制約がないのでぱっと見で内容をつかみやすい。
・読む気になりやすいというか、いつのまにか見入っている。
・さらに新しい情報があれば書き込める。印刷して手でかくもよし、画像ソフトで書くもよし。
仕事ではわたしはそうしている。事務所のスキャナーはいつも手近にあって、性能もいいからだ。
しかし、スキャンの手間がかかるというデメリットがある。
仕事ならすぐスキャンする手間をかけられるが、家庭ではそうもいかない。いつかスキャンすればいいやとたまっていくと、その情報は鮮度を失っていく。
やっぱり情報は、鮮度のあるうちに、整理整頓してしまうのがよいのだ。
そういうとき、タブレットとタブレットペンの組み合わせが便利だ。
手書きのできるアプリはたくさんある。私はAndroidの、Metamoji Noteというフリーソフトを使っている。
やりかた
・そのソフトで画面に手書きする。
・画像に変換する。もしくは画面をキャプチャする。
・その画像をevernoteなどに転送して保管する。
この方法のメリットは、タブレットとペンだけあればできて、しかも、インターネットにつながってさえいれば、その場で整理整頓が完了することだってできる。
しかも少しずつ書き足していける(これは手書き+スキャンよりもよい点)
というわけで、これからもさらなるいい方法を探していこうと思う。
・その画像をevernoteなどに転送して保管する。
この方法のメリットは、タブレットとペンだけあればできて、しかも、インターネットにつながってさえいれば、その場で整理整頓が完了することだってできる。
しかも少しずつ書き足していける(これは手書き+スキャンよりもよい点)
というわけで、これからもさらなるいい方法を探していこうと思う。
息子が7ヶ月になった。
最初は、ベビーバス(いただいた。感謝。)で風呂に入れていたのだが、だんだんと、ベビーバスに体が入らなくなってきた。
その後、シャワーチェア(いただいた。感謝。)を使う。風呂場に置いて、そこに息子を座らせて、洗う。
しかし、シャワーは、刺激が強いらしい、となにかで読んだ。だから、なるべくシャワーを直接あてず、洗面器にお湯をためてそこにガーゼを付けてそのガーゼで洗うようにしていた。
さらに、シャワーチェアにも、体が入らなくなってきた。
最近は、風呂にぬるめのお湯を少しだけ張り、そこに自分が入り、息子も入り、そこで洗ってやる。
息子は風呂の水抜き栓のチェーンがやたらと気に入っていて、いつもチャンスを見つけては思い切り引っ張っている。
早く、私の背中を流してほしいものだなあ。
最初は、ベビーバス(いただいた。感謝。)で風呂に入れていたのだが、だんだんと、ベビーバスに体が入らなくなってきた。
その後、シャワーチェア(いただいた。感謝。)を使う。風呂場に置いて、そこに息子を座らせて、洗う。
しかし、シャワーは、刺激が強いらしい、となにかで読んだ。だから、なるべくシャワーを直接あてず、洗面器にお湯をためてそこにガーゼを付けてそのガーゼで洗うようにしていた。
さらに、シャワーチェアにも、体が入らなくなってきた。
最近は、風呂にぬるめのお湯を少しだけ張り、そこに自分が入り、息子も入り、そこで洗ってやる。
息子は風呂の水抜き栓のチェーンがやたらと気に入っていて、いつもチャンスを見つけては思い切り引っ張っている。
早く、私の背中を流してほしいものだなあ。
息子が産まれて4ヶ月。いろいろなことを学んだ。
おむつの替え方。ミルクの作り方、やりかた。フロへの入れ方。母親のさまざまな喜びや苦悩。父親の重要性。
まわりの方々のさまざまな反応も興味深い。
近所の方々、実のおばあちゃん、友人の中で長年母親をしている方々の反応を見て、感じるのは、赤ちゃんの泣き声は、男性が聞くのと女性が聞くのとでは、聞こえ方がぜんぜん違っているのではないかということだ。(もしくは母親経験者は特別なのか?)
数字で表せる騒音レベル以上に、赤ちゃんの泣き声というのは、女性の脳に特別に響くのではないかと。キンキンと神経に触るのではないか。かわいそうでいてもたってもいられなくなるのではないか。そういうふうにつくられているのではないかと。
泣いている赤ちゃんがいない状況で、夜泣きの話をしていると、「赤ちゃんが泣くのが仕事だからね」と言うのに、実際目の前で赤ちゃんがぎゃんぎゃん泣いていると、もう本当にかわいそうでしかたがない、なんとかしなければならない、という反応をする。年齢が進むほどそういう傾向が見られる。
不思議な気もするけど、でもそういうものなのかな、という気もする。
私と妻は、息子が泣き喚くのには慣れっこで、基本的には「泣くのは当然」というスタンス。もちろん泣いていれば、おむつやミルクや体温管理の心配をするし、余裕のあるときはあやすけど、時には、様子をみながら泣かせておく。特に私は、隣で息子がぎゃんぎゃん泣いていても昼寝ができるようになった。妻はそこまでではなく、やっぱり、昼寝していて泣き声が聞こえると飛んでくるので、妻の昼寝中に息子が泣きだしたら、妻の睡眠時間確保のために全力で息子をあやす。あと、ご近所への騒音を気にする度合いも妻のほうがかなり強い。
そういえば少子化なのかなんなのか、街で、道端で、公共交通機関で、泣き喚く赤ちゃんを見ない気がする。なぜなの?私が気づかないだけ?でも以前はもっと見かけた気がするのだけど。そういうことも、関係有るのかな。人々が、「赤ん坊の泣き声慣れしてない」のか。
妻が専門家から聞いた話では、子育てをした母親たちは「赤ちゃんは泣くものだ、泣いて当然なのだ」と知っているはずなのに、時が経つと、どういうわけだか忘れてしまうらしい。
相当な苦労なので、多少忘れるくらいでないと心のキャパシティオーバーになってしまうのかなあ。
さまざまな意見があるが、その専門家の意見は、子どもは多少は泣かせたほうがいい、運動になる、という意見であり、私も父親として、その意見に賛同する。せめてもの対策として、息子が寝る部屋(地震対策で家具をほとんど置かない部屋)を、おとなりさんから離れた部屋に移動するため、仕事を1日休んで部屋の模様替えをした。
でも子育てには本当に本当に人によって意見が違うみたいだ。「どんどんだっこしなさい」「だっこしすぎると抱き癖がついていけない」とか、「自分の顔をひっかかないように手袋をさせないといけない」「多少の傷は問題ない」とか、だっこよりおんぶがいいとか、今は思い出せないけど他にもたくさんの意見に接した。そしてそれぞれの意見に一理あるようだ。だから親が、決めなければいけない。そういう時に、善意の助言をしてくださるかたがたくさんいて、人によって言うことが違う。そしてひとりひとりの意見、それぞれ、一理ある。だから難しい。
僕はそれほどでもないが妻のほうは、長引く育児疲れの中で様々な善意の助言を聞くと、1人だけならいいけど何人もそれぞれ助言してくださると、助言するほうは1回ずつなんだけど、聞くほうは、いろんな人にいろんなこと言われる、という感じになって、疲れて、時に、がんばっているのに否定されているように感じたりもして悲しくなってしまうようだ。
そんなとき安心できるのは、ただねぎらってくれる人だ。助言するわけでもなく、ただただ、「大変でしょう」「がんばっているね」といいながら、時に実際的な助けを与えてくれる。
だから、何年かたったら、新米パパママに、そうしてやりたい。でも、今はそう思っていても「忘れてしまう」のかなあ。だから、とりあえず、忘れないように、こうして、書いてみた。
おむつの替え方。ミルクの作り方、やりかた。フロへの入れ方。母親のさまざまな喜びや苦悩。父親の重要性。
まわりの方々のさまざまな反応も興味深い。
近所の方々、実のおばあちゃん、友人の中で長年母親をしている方々の反応を見て、感じるのは、赤ちゃんの泣き声は、男性が聞くのと女性が聞くのとでは、聞こえ方がぜんぜん違っているのではないかということだ。(もしくは母親経験者は特別なのか?)
数字で表せる騒音レベル以上に、赤ちゃんの泣き声というのは、女性の脳に特別に響くのではないかと。キンキンと神経に触るのではないか。かわいそうでいてもたってもいられなくなるのではないか。そういうふうにつくられているのではないかと。
泣いている赤ちゃんがいない状況で、夜泣きの話をしていると、「赤ちゃんが泣くのが仕事だからね」と言うのに、実際目の前で赤ちゃんがぎゃんぎゃん泣いていると、もう本当にかわいそうでしかたがない、なんとかしなければならない、という反応をする。年齢が進むほどそういう傾向が見られる。
不思議な気もするけど、でもそういうものなのかな、という気もする。
私と妻は、息子が泣き喚くのには慣れっこで、基本的には「泣くのは当然」というスタンス。もちろん泣いていれば、おむつやミルクや体温管理の心配をするし、余裕のあるときはあやすけど、時には、様子をみながら泣かせておく。特に私は、隣で息子がぎゃんぎゃん泣いていても昼寝ができるようになった。妻はそこまでではなく、やっぱり、昼寝していて泣き声が聞こえると飛んでくるので、妻の昼寝中に息子が泣きだしたら、妻の睡眠時間確保のために全力で息子をあやす。あと、ご近所への騒音を気にする度合いも妻のほうがかなり強い。
そういえば少子化なのかなんなのか、街で、道端で、公共交通機関で、泣き喚く赤ちゃんを見ない気がする。なぜなの?私が気づかないだけ?でも以前はもっと見かけた気がするのだけど。そういうことも、関係有るのかな。人々が、「赤ん坊の泣き声慣れしてない」のか。
妻が専門家から聞いた話では、子育てをした母親たちは「赤ちゃんは泣くものだ、泣いて当然なのだ」と知っているはずなのに、時が経つと、どういうわけだか忘れてしまうらしい。
相当な苦労なので、多少忘れるくらいでないと心のキャパシティオーバーになってしまうのかなあ。
さまざまな意見があるが、その専門家の意見は、子どもは多少は泣かせたほうがいい、運動になる、という意見であり、私も父親として、その意見に賛同する。せめてもの対策として、息子が寝る部屋(地震対策で家具をほとんど置かない部屋)を、おとなりさんから離れた部屋に移動するため、仕事を1日休んで部屋の模様替えをした。
でも子育てには本当に本当に人によって意見が違うみたいだ。「どんどんだっこしなさい」「だっこしすぎると抱き癖がついていけない」とか、「自分の顔をひっかかないように手袋をさせないといけない」「多少の傷は問題ない」とか、だっこよりおんぶがいいとか、今は思い出せないけど他にもたくさんの意見に接した。そしてそれぞれの意見に一理あるようだ。だから親が、決めなければいけない。そういう時に、善意の助言をしてくださるかたがたくさんいて、人によって言うことが違う。そしてひとりひとりの意見、それぞれ、一理ある。だから難しい。
僕はそれほどでもないが妻のほうは、長引く育児疲れの中で様々な善意の助言を聞くと、1人だけならいいけど何人もそれぞれ助言してくださると、助言するほうは1回ずつなんだけど、聞くほうは、いろんな人にいろんなこと言われる、という感じになって、疲れて、時に、がんばっているのに否定されているように感じたりもして悲しくなってしまうようだ。
そんなとき安心できるのは、ただねぎらってくれる人だ。助言するわけでもなく、ただただ、「大変でしょう」「がんばっているね」といいながら、時に実際的な助けを与えてくれる。
だから、何年かたったら、新米パパママに、そうしてやりたい。でも、今はそう思っていても「忘れてしまう」のかなあ。だから、とりあえず、忘れないように、こうして、書いてみた。
ネットでニュースを見ていたら、「ベンジンカイロ」の存在を知った。
使い捨てでない、カイロ。暖かさは使い捨てに比べて段違いにいいらしい。
厳冬の折、いつか使ってみたいものだ。エコだろうし。
わかりやすく説明してくれているページを見つけた。
http://hitoriblog.com/?p=14260
電気工事は、ブレーカーの大きさ、電線の太さ、接続、ホコリヨケ、雨よけなど、気を抜かずしっかりやらないと。
ホコリ掃除、劣化品の交換などのメンテもしっかりと。
大切なもの、積み上げたもの、場合によっては人の命が、一瞬にして失われかねない。
息子が産まれ、夜泣きに付き合う毎日なのだが、夜泣きにゆったりと付き合うには、読書がいい。
kindleで、「吾輩は猫である」(夏目漱石)が無料ダウンロードできた。
名作と言われているから、一度読んでおこうという軽い気持ちだった。
読んでみると、これが、おもしろい!
声を出して笑える。コントとかコメディとか呼べると思う。
使われている語彙や語り口も心地よい。
猫の飼い主の主人がいい味を出しているなと、そう思えるのは、オヤジになり、オヤジの気持ちが少しわかるようになったからだろうか。
夜泣きに付き合いながら、息子の表情の百変化を見て笑い、それから「吾輩は猫である」を読んで笑う。そんな毎日を送っている。
kindleで、「吾輩は猫である」(夏目漱石)が無料ダウンロードできた。
名作と言われているから、一度読んでおこうという軽い気持ちだった。
読んでみると、これが、おもしろい!
声を出して笑える。コントとかコメディとか呼べると思う。
使われている語彙や語り口も心地よい。
猫の飼い主の主人がいい味を出しているなと、そう思えるのは、オヤジになり、オヤジの気持ちが少しわかるようになったからだろうか。
夜泣きに付き合いながら、息子の表情の百変化を見て笑い、それから「吾輩は猫である」を読んで笑う。そんな毎日を送っている。
最近、タブレットで読書することが増えてきたのだが、ひとつ、読書する上でのタブレットの弱点に気づいた。
「読み物」ならOK、「参照」ならOKなのだが、「じっくり読み込んで研究」したいときに思考が狭まってしまう気がするのだ。
全体像をつかむ読み方をしたいなら、印刷物に軍配が上がる。
なぜなんだろう。
物事を俯瞰してみたいとおもったら、「一覧」にするのが一番だ。
ほんとうは文章も、1ページにまとめられるのならそれがいちばん、俯瞰するにはいい。
でも長い文章だとそうはいかないから、次善の策として、冊子の形にすることで、ページをめくって文章全体をすばやく読めるようになっている。
それをタブレットで読もうとするとどうなるか。
タブレットは、次次とページをめくっていくには便利だ。でもそれ以外の読み方をするのにはまだまだ不便だ。
「ページ番号まではわからないんだけど数十ページ前にあんなこと書いてあったからもう一回確認したい」という時とか、「このページとあのページを見比べて比較してみたい」とか、「どうしてこういう記事構成になっているのか分析したい」というようなときに、印刷物をめくるのに比べて動作が複雑だったり遅かったり、しかもみつけにくいので、思考が分断される。
思いついたことを書き込んだり、キーワードに印をつけるのも、印刷物なら思いついたままのスピードで書き込めるのだが、タブレットだと書き込むにもいちいち複雑な操作が必要になるためやっぱり思考が分断される。
やはり、「じっくり読む」のであれば、紙の印刷物に、がんがん書き込みながら読むのがよいのではないかという気がしている。
現時点のタブレットでは、そのほうがよく学べそうだ。
「読み物」ならOK、「参照」ならOKなのだが、「じっくり読み込んで研究」したいときに思考が狭まってしまう気がするのだ。
全体像をつかむ読み方をしたいなら、印刷物に軍配が上がる。
なぜなんだろう。
物事を俯瞰してみたいとおもったら、「一覧」にするのが一番だ。
ほんとうは文章も、1ページにまとめられるのならそれがいちばん、俯瞰するにはいい。
でも長い文章だとそうはいかないから、次善の策として、冊子の形にすることで、ページをめくって文章全体をすばやく読めるようになっている。
それをタブレットで読もうとするとどうなるか。
タブレットは、次次とページをめくっていくには便利だ。でもそれ以外の読み方をするのにはまだまだ不便だ。
「ページ番号まではわからないんだけど数十ページ前にあんなこと書いてあったからもう一回確認したい」という時とか、「このページとあのページを見比べて比較してみたい」とか、「どうしてこういう記事構成になっているのか分析したい」というようなときに、印刷物をめくるのに比べて動作が複雑だったり遅かったり、しかもみつけにくいので、思考が分断される。
思いついたことを書き込んだり、キーワードに印をつけるのも、印刷物なら思いついたままのスピードで書き込めるのだが、タブレットだと書き込むにもいちいち複雑な操作が必要になるためやっぱり思考が分断される。
やはり、「じっくり読む」のであれば、紙の印刷物に、がんがん書き込みながら読むのがよいのではないかという気がしている。
現時点のタブレットでは、そのほうがよく学べそうだ。
iPadのアプリで、"Jazz.FM91"というのがある。
すばらしい。
そのアプリを起動するだけで、ずーっとおしゃれなJazzを、かけつづけてくれる。
カナダのラジオがきけるアプリらしい。
妻と2人で毎日のように、BGMにしている。
湯沸し器がこわれた。
湯沸し器なしで冬に食器を洗うのはきついだろうなと思っていたが、コツがわかってくると、楽しくなってきた。
まずたっぷりのお湯を沸かす。沸いたら魔法瓶ポットなどにいれておくといい。レバーを握ってお湯が出てくるタイプが便利。
そのポットをわきにおいて食器洗いをはじめる。
洗う食器の中の、大きめ深めの食器に、お湯をいくらかはる。(水が入っていたらそれを出してから)
スポンジの水気を絞る。
スポンジをそのお湯にくぐらせる。
またスポンジの水気を切る。あたたかいスポンジができあがる。(あつすぎたら、水も使って微調整)
そのスポンジに洗剤をつける。
すると・・・・
とてもよく泡がたつ!
どんどん洗えます。
スポンジが冷えてきたらまた、水気を絞り、お湯にくぐらせまた水気を絞ってから洗剤をつける、と繰り返す。
お湯が冷えてきた、またはなくなってきたらお湯を補充。
すすぎは、水でやりますが、お湯で洗ってあるので、かなりすっきりとヨゴレが落ちている。
お試しあれ。
それから最後に・・・ポットに残っているアツアツのお湯で、お茶をいれて、自らの労をねぎらいましょう。
湯沸し器なしで冬に食器を洗うのはきついだろうなと思っていたが、コツがわかってくると、楽しくなってきた。
まずたっぷりのお湯を沸かす。沸いたら魔法瓶ポットなどにいれておくといい。レバーを握ってお湯が出てくるタイプが便利。
そのポットをわきにおいて食器洗いをはじめる。
洗う食器の中の、大きめ深めの食器に、お湯をいくらかはる。(水が入っていたらそれを出してから)
スポンジの水気を絞る。
スポンジをそのお湯にくぐらせる。
またスポンジの水気を切る。あたたかいスポンジができあがる。(あつすぎたら、水も使って微調整)
そのスポンジに洗剤をつける。
すると・・・・
とてもよく泡がたつ!
どんどん洗えます。
スポンジが冷えてきたらまた、水気を絞り、お湯にくぐらせまた水気を絞ってから洗剤をつける、と繰り返す。
お湯が冷えてきた、またはなくなってきたらお湯を補充。
すすぎは、水でやりますが、お湯で洗ってあるので、かなりすっきりとヨゴレが落ちている。
お試しあれ。
それから最後に・・・ポットに残っているアツアツのお湯で、お茶をいれて、自らの労をねぎらいましょう。
メガネがずり落ちてくる、すべる、時には汗ですべって落ちてしまう・・・・
そんな悩みはありませんか?
わたしはありました。
仕事中にメガネが度々落ちてしまうともう仕事にならないので、落ちないように針金で工夫したりもしましたが、なかなかうまくいきません。
そんなことを考えていた矢先に見つけたのが「メガロック」。
これならば、そういった問題が一挙に解決です!
さっそく使っていますが、メガネライフがかなり快適になりました。
お試しあれ!
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