2016年6月27日

ついに27㎡を卒業!

2年ちょっと、27㎡で子育てをがんばってきた。
子育ては楽しい。犠牲を払うのは、大変だけど悪くない。
でも、それにしても、狭すぎた。それがストレスだった。
息子が生まれてからは、布団を敷くのも、10センチ単位の調整が必要だった。身を伸ばすのに苦労した。
狭いところでやっていける人になろうとがんばればがんばるほど、疲れてくる。
人間にはプライバシーが必要だ。愛する妻や息子といつも一緒にいるのはいいことだけど、何事も極端はよくない。あまりにもいつも物理的距離が近いと、それも体に疲れがたまる一因となる。

そんなわたしたちもついに27㎡の家を卒業できた。1ヶ月前から、広い家を借りられたのだ。
毎日感激の連続だ。広いと何をするのも楽。ストレスが増えない。
吸う空気も爽やかな気がする。
やはり、人間にはある程度のスペースというものが必要なんだ。
きれいな状態を保つのにかかる手間が激減。家事もやりやすい。モノの置き場所で悩まない。時間を使う自由度が増えた。

悪かった体調も、よくなるといい。
広い家になって累積疲労が少しずつ減っている気がする。
元気になって、もっといろいろなことに挑戦したい。

(結婚してから6年住んだ、今までの家に住めたことにも感謝している。
狭かったけど、真下は駐車場で、子育てには、狭い以外は、とてもいいところだった。
ご近所もいい人ばかりだったし。
もうちょっと広かったらまだ住んでいただろう。)

2016年5月18日

感動的なアプリ!文章作成 兼 情報管理アプリを発見 workflowy

感動的なアプリを発見!
その名もworkflowy。アプリのカテゴリはアウトライナーだ。
アウトライナーというカテゴリのアプリがあることははじめて知った。文書作成、ではなく、文章作成に向いているアプリで、階層で文章を扱える。
まだ使い始めて2日めだが感激している。


アウトライナーはいろいろあるのだが、その中でもworkflowyは格別らしい。

最初に開いたときはあまりのシンプルさに驚いたが、使い始めたらびっくり。
文章をブロックごとに扱えることはとても便利。
ワード系ソフトの欠点を見事に克服している。
あと、すべて1ファイルなので、急に違う文書を開きたくなったときにもすぐ移動できるし、すぐに戻れる。

こことここを入れ替えたい、というときも、ワードソフトより手軽に、範囲選択とかしないでマウスでちょちょっとできる。

使い方も簡単。
公式デモページで簡単に試用できます。
公式デモページはこちら

2015年9月24日

晴れの日に遊ばせる苦労

晴れでも、祝日に遊ばせるのはなかなか骨が折れる。

今月の連休中は、楽しかったけど、都会の狭さを感じた。

妻に3時間ほどのお休みをとってもらい、1歳半の息子を自転車の前に乗せて、公園に行ってみた。
のんびりのんびりこいでいった。

公園についた。晴れた祝日は人がいっぱい。

靴をぬがせて、靴下もぬがせて、子どもが遊べる噴水にいれようとしたが、怖がって入らず。
暑いから、気持ちいいだろうになあ。

1歳半だと、公園の遊具で遊ばせるのに気を使う。
他にだれもいなければ、のんびり独占できるんだけど。

1歳半だと、ひとつの遊具の中でも、ここでは遊べるけどここは危ない、というところがたくさんある。
他に4歳5歳の子とか小学生とかが遊んでいると、ぶつかる危険もあるし。

いつも平日の朝とかに公園に行くと、のんびり遊べるんだが、やはり祝日はきつい。
遊具でなかなかうまく遊べず、あきらめて、

とりあえず歩かせてみた。
歩かせてみたが、人が多い。

うちの子は知っている人にでも、知らない人にでも、ニコニコして手を差し出しながら、握手しに近づいていく。
基本的にはうれしいんだけど、親としたらどういうタイミングでどうすればいいのか、なかなか難しい。
放置していると、いつまでも握手をやめないからだ。

たいていの人はうれしそうにしてくれる。でも2回も3回も握手を求められると、うれしいけど困ったなあ、という感じになる。
どこかで介入しないといけないんだけど、タイミングがなかなか難しい。

こわい人だったら、どうしよう、とかね。

あと、そのへんを歩かせてみると、たいてい、あまり清潔でないところに惹かれるようだ。排水口とか。

なーんにもないところ、広いところでどんどん歩く、というのができたらいいんだけど、なかなかそういう場所がない。

そのうち疲れてきたようで、自転車から下ろすと嫌がるようになったので、そのままサイクリングに突入。

川の土手なら、なーんにもないところ、広いところでどんどん歩くというもできるかも、と思って、川の土手に向かっていった。

しかし・・・都会の川の土手にそんな場所はほとんどなかった。
まず、ゴルフ場が広大だった。ネットがはられたゴルフ場、休日でたくさんプレーヤーのいるゴルフ場の中には、小さい子を連れて入ることはできない。

その隣が、野球場。そこもだめ。その隣がサッカー場だ。
もっと川の近くにいってみた。

すると、ホームレスの住みかが。
そしてその手前のスペースはなんだか畑のような感じになっていた。

自由に歩けるのは、サッカー場と畑の間の、あぜ道だけじゃないか!
祝日の都会は、川の土手すら、人口密度が高かったのだ。

やっぱり都会を、小さい子を連れて歩くのは、平日とか、朝とか、夕方とか、がいいんだろう。




2015年9月10日

雨の日に遊ばせる苦労

きのう(平日)、仕事が休みだった。

妻を、数時間育児から解放してゆったり過ごしてもらおうということで、しかし外は大雨だったので、ショッピングモールに連れて行くことにした。

そこには600円で平日は時間制限なしで遊び放題の、キッズスペースがあったので、そこを目指した。
きのう初めて見たのだが、有料だけあって、風船が舞っていたり、エアー崖があったりと、楽しそうだ。

しかし・・・大混雑。

大雨だからだろう。

店員さんから、30分くらいたてばいくらか空いてくるだろうと教えていただいたので、それまで店をぶらぶらすることに。

電気屋など、自分が楽しめるところはいくらかあるが、1歳半の子が楽しめるところはなかなかない。
ちょっと歩かせると、すぐにエスカレーターがあるので危険。人にぶつかるので危険。なかなかのびのびできない。

唯一楽しそうだったのは・・・
別棟に移動する通路だった。
大雨がじゃんじゃん降っているのを見たり、ちょっと雨の下に行って濡れてみたり。
息子はとても楽しそうだった。

雨で楽しいんだったら、家の前でいいじゃんっ!
結局すぐ家に帰って、家の前であらためて大雨の中で傘をさしてうろうろして遊んだ。
親子共々楽しかった。

雨の日に1歳半の子を遊ばせるのはなかなか苦労するものだ。
ショッピングモールも、空いていればいいけど、当然、雨の日は混んでいるのだ。

2015年9月 7日

毎朝毎晩、歯みがきの戦い

息子が1歳になろうかというころ、何本か歯が生えてきたので、歯医者に連れて行った。

検診の結果は、いくらかショックなものだった。

歯が生え始めてから、がんばって毎日歯を磨いてあげていたのに。歯医者さんによると、全然磨きが足りないって。

その証拠に歯肉炎ができていたって。少々の出血。

こんなに頑張っていたのに!まだ足りなかったのか。
妻に磨くのが上手だと褒められ良い気分でいつも磨いてあげていたのに。

やっぱり何かを所有して使っているからにはしっかりメンテナンスしないといけない。子どもの歯が生えるのはうれしいが、親にとっては毎日の大仕事が一つ増えることを意味している。

磨き方を教わった。

苦労するのは、息子がなかなかちゃんと口をあけてくれないからだ。基本的にはいやがるわけだ。
それまでは、あまりあけてくれない中で、なんとかブラシの届くところをやるという感じだった気がする。

でも、歯医者さんによると、しっかり子供の口を開けさせなければいけないようだ。
2人でやるといいと。一人は手足をおさえつけ、もう一人が磨く。
1人でやらないといけないときは、子供の頭を親の両太ももにはさんで動かないようにし、子供の手を親の太ももの下に敷いて動かないようにし、子供の足を親の足でおさえつけて、磨くといいんだって。
当然、子供は泣き叫ぶ。
こんなことして、かわいそうじゃないのだろうかと思ったが、大丈夫らしい。
それよりも、しっかり磨けないことのほうがかわいそうなんだって。

毎日やるとだんだんわかってくる。
口を開けさせようと、歯と歯の間に指を入れると、ものすごい力で噛まれる。流血寸前だ。
でも、下の歯茎と下唇の間に指を入れてぐいっと口を開けさせると、けっこうやりやすくなる。

歯科検診から数ヶ月たった今では歯肉炎もなく、健康な歯のようだ。毎晩、泣き叫ぶ息子を無理やり押さえつけて歯を磨いているおかげだ。


2015年8月31日

いつになったらゆったり食事できるの

育児で毎日やってくるイベント、それは食事。

子どもが産まれてから1年半、妻とゆったり食事をしたのは数えるほどだ。
たまたまそのとき息子が寝ていればいいが、そういうことは少ない。

普通にちゃぶ台を出して食事するということが難しくなった。テーブルの上になにか乗っていればとりあえず全部触ってみたい子がいるからだ。
もしちゃぶ台を出したければ、赤ちゃんを歩行器に入れて、あまり動けないようにしなければならないが、それも15分くらいが限度だ。

いつものパターンは、わたしが息子と風呂に入っている間に、妻が食事を作りつつ、ある程度何か食べておく。
わたしと息子が風呂から出たら、妻が息子を歩行器に入れたり入れなかったりして、息子に夕食を食べさせる。
その間に私は自分の夕食を食べる。27㎡なものだから、勉強机で食べるしかないので、狭い机の上を片付けてから食事を並べて食べる。

ある程度食べてお腹が落ち着いて来たら選手交代。
今度は私が食べさせる。妻が食事の続きを食べる。

そのうちに息子が食事が終わって遊びはじめるので、わたしがつきあう。その間に妻は他の家事をするといった具合だ。
息子を寝かしつけたあと、妻がもう少し食べたりもする。

私も子どもがいないころより食事が落ち着いてできなくなったが、妻はもっとだ。
立ちながら5分で食べてしまう、みたいな時もあった。飛行機のCAさんみたいだ。
体は大丈夫なんだろうかと心配になる。世の中の赤ちゃんのいるお母さんたちはみんなこんな感じなのだろうか。

外のファミレスに食べにいっても、同様に、交代でたべている。どちらかが息子をあやさなければいけないからだ。ゆっくり食べる、という感じにはなかなかならない。

結婚記念日に、当時1歳になりたてだった息子を妻の両親に預けて、妻と食事に行った。ものすごい解放感。2人でゆっくり食事ができるってこんなに貴重なことだったのかと。

でも、こんなふうに書きながら、なんだか楽しそうな自分がいる。やはり子育ては楽しい。こういう犠牲を払うのも、大変だけど悪くないのだ。

市販のべビーフード売ってくれてありがとう

ドラッグストアにある、市販のべビーフードに感謝している。

育児は2人では人手不足だ。特に27㎡では...

人手不足だからと言って、手を抜けるかというと、手を抜けないところは抜けない。安全を確保することとか。あと、なるべく一緒に遊んであげたい。

だからうまくエネルギー配分しないと、体がもたない。

育児書を見ると、離乳食は手作りで、裏ごしして食べやすくして、などと書いてある。かなりの手間だろう。

ママはまずパパの食事をしっかり準備しなくてはいけない。育児しながらそれをするだけでもかなり大変だ。それにプラスして離乳食もとなると、そしてそれが毎日となると、相当な仕事量になる。

べビーフードを買ってくれば、柔らかごはんと混ぜれば、時間の節約になる。

そりゃあ、私だって、子どもには手作りのものだけをあげたい、栄養的にも、味覚のためにも、それが最善という考えを持っている。でも、そのせいで親が倒れてしまったら、元も子もない。そういう時代なんだと思う。

だからべビーフードにはとても感謝しているのだ。
べビーフードや、他にも、手間があまりかからずに食べさせやすくなり栄養もある、バナナ、豆腐、おいも、納豆などを活用することで、いわゆる手作り離乳食をそんなに作らずとも、離乳食の時期を乗り切れた。

(さすがに白いご飯は、保温鍋で柔らかく、妻がいつも炊いていたけど。)


外出の時も、外出先のドラッグストアでべビーフードを買えば、もうそれで準備完了だ。外出の準備だけでも大変なんだから、そこはエネルギー配分しないと。




2015年8月29日

電気機器に子守をさせることの是非その2「じっとしててくれる」

電気機器による子守が必要かどうかを論じている。その1では、「テレビは庭がわり」ということを考えた。

ご存知のとおり、核家族は多い。そういう家族は基本的に子どもを世話できるのは当然ながら、パパとママ、だけだ。

でも実際には2人では、とても足りないと思う。わたしも、息子のジイジバアバの力を大いに借りている。近くに住んでいてくれて本当によかった。もしそうでなかったら・・・と思うと、体がもっていたか自信がない。

ほんの二、三十年前は、話をきくに、今よりかなり気軽にご近所に子どもを預けたりしていたというではないか。私が小さいころも近所の方がたびたび預かってくれたらしい。

でも今は、そうもいかないことが多そうだ。都会だけかな。

自分がもし今の生活の中で、近所の子どもを預かるとしたら・・・と考えてみる。かなりハードルが高いとわかる。

遊ばせるスペースや環境が、家の中にも外にもあまりないのだ。家事をしながらついでに見るとかできないから、かなりハードルが高くなるだろう。わざわざちょっと遠くの公園とか、ショッピングモールに連れて行かないといけないことになるだろう。

ああ、裏庭とか裏山とかあったらなあ・・・

とにかく、子育ては、2人では人出が足りていない。たとえばママが、子どもの夜泣きのせいで連日の寝不足でついに体調をくずしたとする。そこでパパが休みの日は子どもの面倒をみるとする。

でもパパだって本来は休日なのだ。疲れている。休日に無理すると、仕事の日にさしつかえる。午前はがんばるが、午後になるとクタクタになる。子どもと過ごす楽しい時間が苦痛になってくる。笑顔がひきつる。だからってママに面倒を見てもらおうと思っても、体調をくずしているのだから頼めない。家事もたまってくる。

さあどうする、そんな状況を、たくさん経験した。
そしてそんな状況を救ってくれるのが電気機器による子守なのだ!

ボタンを押すと音楽がかかる。メリーが動く。そのあいだは親はあやさなくていいので、家事ができる。
動画でアニメを見せる。すると子どもは画面を食い入るように見る。数十分はもつ。その間、親はつかの間の休息をとれる。

何度救われたことか。おかげでなんとか乗りきれた。

やっぱり、今の時代、電気機器による子守は必要だ。
何ヶ月も、何年も、毎日元気に親が子守を続けていくために、必要だ。

もちろん、使い過ぎはよくないので、コントロールが必要だけど、いい道具になる。





2015年8月27日

電気機器に子守をさせることの是非その1「テレビは庭がわり」

子どもを持つ前は、テレビなどの電気機器に子守をさせることは、なるべくしないほういいんじゃないかなと思っていたが、パパになってみると、その見方がいくらか変わった。

特に、27㎡という狭い家で子守をするには、やっぱりそういうものが必要なのではないかと思う。

赤ちゃん、そして1歳児は起きているときはほとんどじっとしていない。ハイハイやよちよち歩きでウロウロし、まわりのいろいろなものを触ったり、口に入れたり。そうして、五感に刺激を与え、感覚を養っていくのだと思うし、そうあってほしい。

でもそういうときは大人が見張っていないといけない。時期によっては一瞬たりとも目を離してはいけない。様々な物理的危険や衛生的危険にさらされないよう見張っていなければいけない。大きいものを飲み込まないか、きたないものをなめたりしないか、物が倒れてこないか、段差で怪我をしないか、テーブルの角に目をぶつけないか、などなど挙げればきりがない。

もちろんなるべく危険の少ない環境整備は重要だ。刃物のある棚は開かないようにロックをつけるとか、重いものは落ちにくい所に置くとか、物をなるべく立てかけないとか、コンセントにカバーをするとか、これも挙げればきりがない。しかし、いくら環境を整備しても、見張らなくていいことにはならない。予想外の危険もあるからだ。このことは経験を通して本当に思い知らされた。

そうやってウロウロできるエリアが狭いと、子どもには刺激が足りないようだ。その分、子守する人(主に親)への負担が増える。意識的に刺激を与えなければいけない。手あそびとか、おもちゃをもてあそぶとか、歌うとか踊るとか・・・

広ければ、広いスペース自体が刺激になる。思いっきりハイハイしたり歩いたりしてそれだけでも楽しむようだ。うちは男の子だからかな。外だったら風も吹くし、鳥も飛ぶ、それを見るのも楽しそう。

でも狭いとそういう刺激も少ない。部屋にあるものなどたかがしれている。おチビちゃんは、より楽しそうなものを求めて、手当り次第に触る。より楽しそうなものは、親にとってはあまり触ってほしくないことが多い。ケータイとか、タブレットとか・・・

例えば広い一軒家で、庭にちょっとした草っぱらがあったりするのなら、電気機器に子守をさせる必要はグッと減るのかもしれない。でも狭い部屋しかないんだったら、電気機器による子守をしないと、パパとママだけではとても、体がもたない。

うちの妻が興味深いことを言った。「テレビは庭がわりだ」と。
確かに。と思った。


子どもをあやしながら、空いている耳で情報収集

イクメンは忙しい。時間を有効活用しなければいけない。
育児ばかりでなく、世の中で何が起きているか、ある程度知らないと、職場での会話にもついていけない。
でも情報収集に時間を使いすぎると他のことができなくなる。そばには退屈そうな息子がやってくる。

情報収集は、主にインターネットなのだが、最近、インターネットによる情報収集の限界を感じてきた。
インターネットだと興味のある記事しかクリックしないので、いつも見るのは同じような記事になる。
新聞みたいに、全体的に、世の中の出来事がぱっとわかる、という感じにはなりにくい。
そしてネットサーフィンの間は子どもをあやすことができない。

宇宙兄弟という漫画で、ムッタが、朝、情報収集をしている場面がでてくる。
なんとテレビとラジオを同時に視聴しながら、インターネットと新聞を読むという、すごいことをやってのけている。
あれは極端だが、ヒントにはなる。

子どもをあやしながら別のことをできるとしたら、唯一、耳で何かを聞くことではないだろうか。

ラジオはいい。ほどよくニュースをやり、ほどよく曲がかかり、ほどよく楽しいトークがきけるし、しゃべりのプロの技に触れられるし。
なにが流行っているかとか、主要ニュースはなにかとか、つかめる。全部集中してきけなくても、かかっていれば、かかっていないよりもたくさんの情報に触れられる。

あとは、いい本の朗読音声mp3ファイルをかけるのもいい。全部集中してきけなくても、何回も聞けば、かなり頭に入る。