はんぺん太郎です。
「極端」になりがちなわたし。
この歳になって、「すべてはバランスだな」と感じるようになった。
すべてに通じる法則などあまりないと。
たとえば、「わかりやすい」ほうがいいのか。たしかに、わかりやすいほうがいいともいえる。
でも、名著といわれる本や、名作といわれる映画や物語は、わかりやすいとは限らない。かえって、一見謎めいていている言葉や文のほうが、読む人それぞれが自分なりに考えて解釈できるという良い面があったりもする。
じゃあわかりにくいほうがいいのかというと、やっぱりそんなこともない。
よく、現場の大切さが強調される。
現場を見るべきだとか、事件は現場で起きている、とか。
確かにそのとおりだ。
わたしも現場仕事をするので、現場を知らない人が好き勝手なことを言うことに対して腹立たしく感じたことも少なくない。
しかし、最近思う。現場主義ばかりでもよくないと。
現場をみていない人にも、役割がある。現場を詳しく知っている人は、全体を見る時間がとりにくい。人はどうしても自分が見たものを中心に考えてしまう癖があるので、判断が偏ってしまったり、感情に流されて冷静に判断できなくなってしまうというデメリットもある。
他にもたくさんある。慎重か積極的か。勤勉かゆとりか。早口か穏やかな口調か。長年勤務か転職経験豊富か。癒しか激励か。優しさか厳しさか。節約か思い切りのよい出費か。あげればきりがない。
こうすればいいという答えはない。すべてはバランスなのだ。
これを知っておくと、いろいろ役立つ。
まず、「自分はどちらかに偏っている。偏っていない人なんていない」と認めやすくなる。そして、自分が偏っているのと逆の方を強化するように意識できる。
そして、他の人の良さが見える。他の人を、自分の偏りを補正してくれる良き存在と思える。自分がシーソーのこちらがわにいるなら、他の人がシーソーの反対側にいてくれることで、人間関係とか組織全体のバランスが保てる。
でも、バランスをとろうとしてばかりいるのもまた、「極端」になってしまうだろう。自分はこれだけは譲れないんだというものがあれば、その個性をいい武器として伸ばすのもよい。その場合でも、バランスのことを意識していれば、「自分がこうしていられるのは他の人がいてくれるからこそだ」と思えるのだ。
つづく